阪神淡路大震災から12年――。
僕はいつも思い出すことがあります。
「もしもし、はぶさん。今、神戸にいるんだけど」
震災後何日かしてから同業者のKさんから1本の電話が入りました。
「ボランティアで神戸にいるんだとけど……」
という言葉のあと、できれば何かを送って欲しいとの旨。
Kさんからはパンよりも、インスタントの味噌汁がいいと。
僕は言われるままに少しばかりのインスタントの味噌汁を送りました。
その数日後、震災の地にいる名も知らぬ男性から電話がありました。
味噌汁ことに凄く喜んでくれて、僕は逆に恐縮してしまいました。
Kさんから連絡がなければ何もしていなかったかもしれない……。
1月17日が来る度にそのことを思い出してしまいます。
僕はいつも思い出すことがあります。
「もしもし、はぶさん。今、神戸にいるんだけど」
震災後何日かしてから同業者のKさんから1本の電話が入りました。
「ボランティアで神戸にいるんだとけど……」
という言葉のあと、できれば何かを送って欲しいとの旨。
Kさんからはパンよりも、インスタントの味噌汁がいいと。
僕は言われるままに少しばかりのインスタントの味噌汁を送りました。
その数日後、震災の地にいる名も知らぬ男性から電話がありました。
味噌汁ことに凄く喜んでくれて、僕は逆に恐縮してしまいました。
Kさんから連絡がなければ何もしていなかったかもしれない……。
1月17日が来る度にそのことを思い出してしまいます。
コメント
私も、知人が震災にあって、急いでスーパーに下着を
買いに走りました。
そして、友人と思い切りギューギュー詰めにして
送ったことを思い出しました。
新聞で避難しておられた独居老人の方が
手紙を喜ばれた事を知り、
気づかなかった事をとても残念に思いました。
あの日のことは、伝えていく義務があると思いますね。
現地の男性は心からその行為を喜んでくれていました。
それも現地に飛んだKさんからの連絡があったからこそなんです。
今思うと、naochanさんのようにもっと何かがという気持ちもあります。
当時の惨憺たる光景はテレビの画面から何回も見ていましたが、
そこにいる住む人たちの現実はあまりにも知らな過ぎました。
でも忘れてはならないし、少しでも伝えたいという気持ちはあります。