この3月、もっと書き切ろうと思っていましたが、
結局は今まで通りのマイペースのままとなってしまいました。

拙文のお付き合い頂いた奇特な皆さんには、
ただただ感謝の気持ちしかありません。
それぞれの生き方、考え方、日常に触れ、感心し、影響され、笑い、涙ぐみ、
時には驚き、共感させて頂きました。

ここで出会い、ここで綴り合い、影響し合ったことを僕は一生忘れません。

どこかで皆様のお名前と出会い、
好き勝手なコメントを書かせて頂くこともあろうかと思います。
その時は、そういえば「羽生遊」なんてお気楽な人間がいたなと、
思い出してくだされば幸いです。

本当に、本当に今までのお付き合い、ありがとうございました!
日本有志看護師の会が5歳から11歳の子供たちへのワクチン接種に関して、
非常に興味深く、適切な提案をしています。

会の基本的なスタンスは、子供たちに対して、臨床試験中のワクチン接種には反対の立場です。
各ワクチンの臨床試験(治験)終了期間はそれぞれ下記を予定しており、重症、死亡例の極めて少ない子供たちへの接種は待ちましょうと提案しています。
※5歳~11歳は発症のリスクは低く、死亡例は現在0件です。

〇ファイザー・2024年2月8日、臨床試験完了予定
〇モデルナ・2024年1月6日、臨床試験完了予定
〇アストラゼネカ・2023年2月14日、臨床試験完了予定

「打つでも打たないでもなく待つ」
臨床試験完了後の様々なリスクを考慮した上での判断を保護者に促しています。
子供たちに寄り添った適切な提案だと僕は思います。

厚労省は、5歳~11歳の子供への接種をなぜ前倒ししたのか――
使用期限が過ぎているワクチンの期限をなぜ延長したのか――
オミクロン株を想定していないワクチン接種を勧めるのか――

もう一度、自分自身で考えてみる必要がありそうです。
土日にひとりで父親の暮らす群馬へと行きました。
少しばかりビールを飲み、喋り、赤城山を眺め。
父親も90歳、まだまだ気力に溢れています。

前日の雨は日曜はきれいに晴れて、風が強い、ちょっと肌寒い晴天。
敷地の隣にある墓に眠る祖父母、おじおばたちに手を合わせました。
群馬に行くと時の流れが緩やかです。

帰っての来て、母親の89歳の誕生日でもある春分の日。
地元にある母方の墓へとカミサンと2歳の孫娘を連れての墓参り。
お酒の好きだった祖父へと墓石にビールをかけ、僕も一口喉を潤しました。

墓の前で孫娘のおむつを取り替えるハプニングもありましたが、
手向ける花に囲まれ、線香の香りに癒され、
墓参りは、祖先のためなのか、自分のためなのか……
穏やかな気持ちに包まれて、穏やかな春分の日を過ごしました。
悲しいことと嬉しいこと、両方があった1週間でした。

少ない機会だったけど、飲んで語って、可愛がってくれた人。
そんな兄貴みたいな人が静かに命の鼓動を止めました。
豪快で、人情家でそれでいて寂しがり屋で。
呼び捨てで呼ばれる声が、懐かしくてたまりません。

そして――
二男夫婦が小さな命を授かりました。
このブログを始めた時の二男はまだ10歳。
時の流れは誰にも均等に流れます。

命のバトンタッチは、これからもずっと、ずっとです。
サブタイトルには、3.11後の「言ってはいけない真実」とあります。
新聞記者である著者が、震災後から取材を続け、2018年に刊行された渾身のノンフィクションです。
自分自身の震災後の見方に影響を受けた一冊でした。
この日、ここで紹介させて頂くのは、エピローグの文末の文章です。

 「原子力 明るい未来のエネルギー」という標語の看板が双葉町の道路から撤去された。あとには何もないまち。名前をなくすまち。
 安全だと言われ、鵜呑みにしていた私たちの社会の過信が生んだ悲劇だ。
 その姿は、私たちへの奢りへの猛省を促し、一人ひとり、自ら判断して立ちなさいと言っているかのように見える。 ※エピローグから引用
なんとなく、今朝は調子悪いな――
なんだろう、今日は体が軽いな――

日々淡々と過ごす中での感覚として、
自分の心身の状態を捉えることがあると思います。

数字では表れないものに、自分の心身の状態が察知することがしばしばです。
でも、それが凄く大事です。人は何故か、数字を意識します。
健康診断の数値然り、血圧然り、年齢然り……
自分の感覚は良いのに、数値が違うと余計に心配になってしまったりと。

人は自然界の中で間違いなく生きています。
ただ、人という生き物だけ、独自の文化を得てしまいました。
自然界に生きる動植物とは違う価値観、物差しを持ってしまいました。
もちろん、良くも悪くもです。

自分の身体に耳を澄まし、心に問いかけ、今の自分はどうなのか――
時にはそんな時間も大切だと、今強く感じています。
5歳になった孫と時々電車の旅に出掛けています。
今回は東京モノレール。

浜松町から羽田空港を結ぶ、東京見物ができるモノレールです。
孫は勿論、初めてですが、僕もなんと初めて。
東京の街並みを眺めながらの小さな旅を孫と2人で大いに楽しみました。

子供たちが幼かった頃の感覚とは幾分違うのですが、
孫に遊んでもらえる喜びを満喫しています。

それぞれの人生の幸せって、日常のすぐそばにあるようです。
もう20年以上前に読んだ本を再読しています。
富士の青木ヶ原を舞台にした科学ミステリー。遺伝子のことや自然界のことがテーマになっている作品です。
その中、樹海で民宿を営む源蔵が、訳あって樹海に定住することになった多門から感じている、さりげない言葉が胸に刺さりました。

【自然と共存する、などと気楽に人はいうが、人はどれだけ自然を知っているのか。自然の脅威も、自然破壊のしっぺ返しも……。源蔵は多門を見ていると、いつもそんなことを感じてしまう。】※第6章・リセット地球より引用

自分たちが自然界の中で生きている実感をもっと持たなければと自戒しています。
ロシアは悪い、ウクライナも悪い。
武器を送ろうとし、支援する国々も、傍観する国々も……
戦争に善は存在しません。
絶対にあってはならないことです。

これまでに多くの戦争、内戦、紛争がありました。
今も尚、その状態が続く地域もあります。
戦争反対の強い意思を叫び続け、
例え小さな力でも命の重みを謳い続ける魂を持ち続け、
戦争を知らなくとも、伝え続けることが平和な未来に続くと信じています。

戦争に善は存在しません。
戦争は絶対にあってはいけません。
誰になんと言われようと、戦争は絶対に反対です。
現在の国際問題に関しての日本の報道はどうしても、
西側寄り、アメリカより偏った報道になってしまう現実があります。

今回のロシアのウクライナ侵攻、決して肯定できるものではありませんし、
多くの一般市民が犠牲になってしまう戦争は絶対にあってはなりません。
ただ、少し深く調べると、原因はロシアばかりでないこともわかり、
ウクライナの後ろにいる西側大国たちの思惑が見えます。

以前、アメリカがでっち上げの理由を作り、イラクを攻撃し、
大多数の一般市民の命が紙屑のように犠牲になりました。
その時、日本政府はどんな態度をとったか、どんな報道があったのか――

戦争は絶対にあってなりません。
日本は過去の過ちから、戦争を絶対的に否定した憲法9条があります。
何があっても平和を願い、戦争を否定し続けることが、
僕たちにできることだと改めて思います。
環境に配慮する名目でレジ袋が有料制にになり、
エコバックを持ち歩く人が増えました。僕も同様です。

でも、ゴミをビニール袋に入れて出すことに変わりはありません。
ゴミを出すためのビニール袋は結局は購入します。
ゴミを出すためにわざわざレジ袋を買う方も少なからずいます。
それに加えて、エコバックがプレゼントの景品になったり、
様々なデザインのものが世の中に溢れたり、
なんだか、本当に環境に配慮されているのかどうか、疑問です。

今の社会には環境を謳いつつ、実は結果は同等、
もしくは悪化させていることも少なくないように思われます。

大手自動車メーカーが推進している電気自動車もそんな面があります。
パソコンやスマホに使われているリチウム電池。
そのリチウム電池は電気自動車でも当然必要です。
そのためにはレアメタルが大量に使用されます。
その製造過程にはリチウムやコバルトなどが大量に採取されることになります。

それによる環境破壊がどんなことを生み出しているのか――
少しだけ深く、世界の未来を考える必要があるようです。
「レクリエーションを勉強しに、ここに来たんだ」

今から約40年前、体育大に入学したばかりのこと。
たまたま、帰り道が同じで声をかけて来たのりまき君が、
自己紹介も兼ねて、学校に入った目的をさりげなく話してくれました。

スポーツマンというよりもミュージシャン、
硬派を気取っていた僕にとっては、のりまき君はなんとも軟弱な感じで、
馴れ馴れしい奴だというのが、第一印象でした。

その時点で僕は目標を失い、道に迷い、情けない雰囲気だったと思います。
「そんなこと大したことないじゃん」
レクリェーションを真剣に学びに来たのりまき君は、
僕の悩みをその一言で、一蹴してくれました。

それから、40年経った今――
その彼が「令和3年度の横浜市スポーツ表彰・スポーツ功労賞」を受賞しました。

のりまき君はレクリェーションという分野にずっと関わり続け、
人と人の繋がりを何よりも大切に、
レクの現場で、教育の現場で、認知症予防の現場で、
横浜市レクリエーション協議会の理事長として、
自分が培ったスキルを惜しみなく注ぎ込み、楽しみを伝え続けています。

信頼できる親友、喜怒哀楽をぶつけ合える親友だからこそ、
心からおめでとうと言いたい気持ちです。

※令和3年度スポーツ表彰
https://www.hamaspo.com/monthly/20220131
政府が新型コロナの3回目のワクチン接種を推奨しています。
もちろん、接種は今まで通り自由意思、決して強制されるものではありません。

NHKのデータニュースにファイザー社がオミクロン株用の、
ワクチンの開発に伴う治験を始めたというニュースが出ました。
今のワクチンは、この株には効き目かないことを公然と証明しています。

また、ワクチン接種後に不幸にも亡くなられた方も、
厚生省に届けられているだけでも1400名を超えてしまいました。
ひどい副反応に悩まされている方も多数います。
ようやく、新聞各社、メディアもこの事実を大きく報道するようになりました。
また、これは治験レベルのワクチン接種だからこそ、認められるとのことです。

ここからは全くの私見です。
さすがにそろそろ気づいて欲しいと祈っています。
穿った見方をすれば、3回目は官民画策のワクチンの在庫処理、
残念ながら、健康を維持しようとする身体にとって、
プラス面よりも、リスクの方が大きいと思われます。
これから3回目接種をと思う方は、是非熟慮して欲しいです。

ましてや、5歳からの子供へは絶対に避けて欲しい。
これから育っていく子供たちの抵抗力を奪わないで欲しいと願うばかりです。
一番の抵抗力は人が持つ自然治癒力であることは、周知の事実のはずですから。
先週の土曜、仕事絡みで大分の親友、ゴウが来るとのことで、
横浜の親友、のりまきも誘って飲んで語り合いました。

体育大学時代の同級生、ゴウは目標を叶え、体育教師になり、
本格的にレクリェーションを学びに体育大に来たのりまきは、
そのキャリアを活かす仕事でレクリェーション界の顔の一人となり、
そして僕はスポーツ用品販売員を経て、家業を継いでいます。

それぞれ道は違えども、卒後37年、時に会い親交は続いています。
この日来られなかった同じく同級で、親友のマルとタケもラインで連絡があり、
笑い合うゴウとのりまきの写真を送りました。

60歳になる年、それぞれに思いもあり、やりたいこともあり、
家族がいて、結婚した子供たちがいて、それでも変わらぬままに、
キャンパスで過ごした日々も久しぶりに懐かしみました。

会いたい人と会い、それぞれの思いを真っ直ぐに語り合い、
酒を酌み交わし、時間を惜しんで、お互いの存在を意識し合う。
駅に吸い込まれるのりまきの後ろ姿……
改札口を過ぎて振り向き、手を上げるゴウの笑顔……

遠くにいるようで、ずっと近くにいたようで、
大切なものを感じ入った夜でした。
「キーワードはコミュニケーション」――。
昔、ミュージシャンでもあるのりまき君に、
拙い詩に音を乗せて貰い、楽しい歌にしてもらったことがあります。

昨年12月初め、母は大腿部骨折から順調に回復し退院。
今は僕の妹宅で療養中、久しぶりの娘との年越しを楽しんだようです。

クリスマスは父親のいる群馬に娘と訪れ、
深夜遅くまで、ビールを少し飲みながら、父の言葉に耳を傾けました。

昨年末の30日は大学時代の親友たちと関わる友たちを交えての忘年会。
5人での楽しいひと時。新宿都心は陽も暖かく、穏やかでした。
ちょっと飲み足りなかったのりまき君と僕はそのまま横浜に出没。
カウンターの席で肩を並べ、地ビールであれこれと語り合いました。

年末年始は家族とのひと時。
元旦は長男家族に加え、二男、娘も加わり、
野毛にある成田山別院の延命院に初詣。
程よい人出と暖かさに誘われて、祈願の後は中華街で新年会。

「キーワードはコミュニケーションか……」
生きていく中で、大切なものは何だろう。
わかっているはずのことの大切さを改めて感じた年末年始でした。

というわけで、本年も宜しくお願いします!
『目の前にいる人に対して、自分が何ができるのか、
どんなケアができるのか、問い続け、日々を過ごし、
その人にとっての「真の健康」とは何かを見い出せる1年にしようと思う。』

令和3年1月4日、そんな書き出しで、手帳に自分の目標を立てました。
省みて、それを貫けたのか、何かを見い出せたのか、
その答えはまだ自分の中にはこれっぽっちもありません。

仕事を通じて、感じ、考え、教えられるものは、
数え上げれば切りがありません。
この師走はそんなことを日々つらつらと思い、過ごしていました。

また1年、つまらぬブログにお付き合いして頂き、本当にありがとうございます。
来年も決して、人の顔色を気にせず、権力に媚びることなく、
好き勝手なことを、それでも真っ直ぐに綴り続けたいと思っています。

ありがとうございました。
人が本来持っている自然治癒力――
ウイルスや雑菌に触れた時、その力が自然免疫や獲得免疫となり、
人を守り、人をより強くします。
特に子供たちは、色々なところに触り、空気を吸い、免疫力を高めています。

その自然治癒力は様々な環境因子によって、
プラスにもマイナスにも影響を受けます。
食、空気、化学物質など、残念ながらワクチンもその例外ではないでしょう。

新型コロナウイルスの変異株が確認されたと報道されました。
日本で確認された方たちも、当然ワクチンを接種を済ませた方です。

では、何故また3回目のワクチン接種を勧めようとしているのでしょうか――

子供たちは例え、新型コロナウイルスに感染しても、
無症状または軽症、亡くなった子供はほとんどいないデータがあります。

何故、子供たちまでもワクチン接種を勧めようとしているのでしょうか――

ことの本質を見極めないといけないと強く感じています。
先月末、母が階段を一段踏み外して転倒、
救急車を呼び、近隣の病院に緊急入院しました。
診断は文句なしの大腿骨頚部骨折で、担当医の方と話し、今後のQOLを考慮し、
本人同意のもと、手術を選択することにしました。

88歳、よくあるケースと思いながらも、
何かもう少し配慮ができなかったのかと、自問もしました。

幸い経過は順調、年齢からすると非常に良い状態で回復しており、
本人のガッツ(笑)でリハビリもしっかり頑張っているとのこと。
時々、電話で話す声にもやる気と張りを感じています。

先日の日曜も母から電話がありました。
ひと通り、家族と会話をしたあと、
孫が話したいことがあると言って電話に出ました。

「おばあちゃん、階段すべらないようにしたからね」
ひ孫の励ましが、きっと大ばぁちゃんの回復を早めてくれると思います。
ひと色の社会ほど、つまらないものはない。
ひとつの方向に何事も進めようとするのは、
ある人たちにとっては都合の良い社会になってしまうだろう。

今の社会を省みると、気付かないうちに同じ方向を見せられている。
そうすることが都合の良い人たちが必ずいる。

そこで立ち止まること、自分はこうだと主張すること、
そして、時代にただ流されるのではなく、
君はそうかもしれないけど、僕はこうなんだと堂々と言えること。
そんな社会になって欲しいと願っている。

虹色の社会はもっと面白いし、楽しいはず。
今更ながらとも言えますが、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を少しずつ、自戒をこめて読み進めています。この作品は1962年に発表された自然破壊に警鐘を鳴らした著者の先駆書です。その中から引用させて頂きます。

『化学合成殺虫剤の使用は厳禁だ、などど言うつもりはない。毒のある、生物学的に悪影響を及ぼす化学薬品を、だれそれかまわずやたらと使わせているのはよくない、と言いたいのだ。その薬品にどういう副作用や潜在的毒性があるのか、考えてもみなければ知りもしないまま化学薬品を使う。おびただしい人々が、知らぬまに、こうした毒を手に入れていた――手にさせられたのだった。権利の章典に、市民は危険な毒から――私的個人、公的な官庁からばらまかれるにせよ――安全に身を身を守られるべきである、と書いていないとすれば、それは私たち祖先も、こんなことになろうとは夢にも思わなかったためにすぎない。』

―中略―

『どんなおそろしいことになるのか、危険に目覚めている人の数は本当に少ない。そして、今は専門分化の時代だ。みんな自分の狭い専門の枠ばかりに首をつっこんで、全体がどうなるかは気がつかない。いやわざと考えようともしない人もいる。また今は産業の時代だ。とにかく金をもうけることが神聖な不文律になっている。』

※「沈黙の春」レイチェルカーソン氏著・青葉簗一氏訳・新潮文庫より引用

この著書が発表されてから59年、今はどうなのか――変わらず抱える問題を解き続けるバトンは、僕たちの世代、その先の世代へと託されています。

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