仕事の関係である介護施設に行く機会がありました。
街中から少し外れた静かな場所に、
世間の雑音を拒絶するように、その施設はありました。

初めての訪れた僕に、丁寧に説明と案内をしてくれた施設の職員の方たち。
綺麗ごとだけでは済まされない介護事業にも関わらず、
営業だけではない笑顔を終始絶やさずに応対してくれました。

施設の中には認知症の方や、どうしても介護が必要な方がたくさんいます。
でも、そこにはその人たちのパーソナリティーを尊重した雰囲気があり、
職員の方たちが、家族の代わりとなり、親身になって、
入所している人たちに接している姿がありました。

僕が垣間見た施設の姿は、表の明るい部分だけかもしれません。
それでも、介護と言う仕事に関わる覚悟、
それを自分の生きがいとする心意気には、ただただ頭が下がる思いでした。

表舞台で目立つばかりが仕事ではありません。
終わりのない、答えの見えない仕事に、
地道に取り組んでいる人たちがいることを、
改めて実感したひと時でした。
家業を継ぎ、曲りなりにも人の健康に関わる仕事をして25年目になる。
正直、ただひたすら真っ直ぐ歩いてきたように思う。
紆余曲折は当然あり、充実感も味わえば、辛酸も舐めてきた。
仕事を通じて出会う人たちからは教えられることばかりで、
修行の日々が続いている。

先日も仕事を通じてある女性と出会った。
その姿から、それまでのその人なりの人生の歩みを感じずにはいられなかった。
自分と同じく、そこにも、あそこにもいる人。
でも、確実に言えることは、他の誰でもないその人だけの道を歩んできた人。

初対面の時、その女性の顔は強張っていた。
何をされるのだろう――そんな緊張感が眼差しに表れていた。
昼下がりの午後、住宅街の静かな時の中で、
僕は自分なりにやれることをやり、約束の時を終えた。

美人さんだな――
ことを終えたあとの女性は、柔らかく微笑んでいた。

縁が続くかどうかは、わからない。
ただ、その女性が働くことの意味を、僕に改めて問いかけてくれた。

大雪の横浜

2014年2月8日 お仕事
どんどん雪化粧が深まっていく。
こんなに降り積もる雪を横浜で見るのはいつ以来だろう。

豪雪地帯に住む人たちにしてみれば、
何のことはない見慣れた風景かもしれない――。

こんな日でも、うちに訪れてくれる人がいた。

「雪の運転は慣れているから」

逞しい人がいて、ありがたい1日になった。

仕事納めの朝

2012年12月29日 お仕事
1年間、自分なりの目標を持って仕事に取り組んできた。

達成できたこと、足りなかったこと、色々とある。

昨日、2人の人にある指摘を受けた。
指摘と言うよりも、感想、感覚の類のもののようだ。

些細なことだけど、自分の仕事にとっては大切なことだった。

そんな大切なこと、決して忘れていたわけではないが、
意識する余りに逆に鈍感になっていたのかもしれない。

あと1日だけど、来年に向けて、
しっかりと仕事を納めよう。
年に一度の校友会――

最近はこの7月の連休に絡めて、
専門学校の学生と同窓が熱海の母校に集っている。

人の健康を少しでも支えるために、
己が医療人としての道を歩むために、

僕らができることは何なのか――

そんな永遠のテーマを追い求めて、
集い、刺激を受け、親睦を深めている。

明日はまた熱い熱い熱海の日になることだろう。
自分で考える――

それが僕が隠していた講義のテーマだった。

その答えは3回の講義の至るところに、
学生たちの言動に散りばめられていた。

僕が紹介した治療方法をアレンジしたり、
お互いが治療効果を話し合ったり、
勿論、僕への鋭い質問も多かったが、
僕は極力、口を出さずに見守ることにした。

教え込まれたものよりも、
自分で見つけ出したものの方が、
自分のためになると僕は思う。

「先生はどんな方向性で治療をしていかれるのですか?」

最後の質疑応答での学生からの質問だった。

「たった一人の人としっかりと
 向き合う治療をしていきたいと思っています」

終了のチャイムが鳴った。
後輩たちはいつものように次の授業へと向っていった。
この月末から来月にかけての水曜日の3回、
母校の専門学校から講義の依頼を受けていた。

内容は地域保健医療論という講義の中、
代替療法としての身体運動操作について。

簡単に言うと、鍼灸師を目指す学生に対して、
手技療法として利用できる運動療法の講義とでもいえよう。
要は自分が実際に仕事で使っている手技の一部を、
学生達に伝えるという実技の講義だ。
鍼灸師を目指す学生にしてみれば、門外漢なのかもしれない。

対象は来年には国家試験と卒業を控えた3年生、
久しぶりの母校の教室に最初は緊張した。

学生の目は鋭く、まるで射抜かれるようだった。
ただ、それもほんのわずかな時間で、
あとは学生たちの熱意と向学心に導かれるように、
楽しくも熱いあっという間の90分だった。

みんな楽しそうでしたね――

講義を終えてからの学校長の言葉は、
社交辞令もあるだろうが、素直に嬉しいものだった。

講義のはじめ、僕は学生たちに伝えた。

「この3回の講義には隠しテーマがあります。
 それは最後の講義の日にお話します」と。

僕は今回、教えない授業を目指そうと思った。
その教えない授業の中にテーマは隠されている。
それを伝えきれるか、どうか、共感できるか、どうか。

午後8時過ぎ、講義を終えると学校の外は真っ暗だった。
火照った頬に気持ち良く冷気があたった。
明日の午前中で僕も仕事納めです。

やり残したことはないのか――

しっかりと、じっくりと、
やり遂げようと思います。

仕事

2008年12月26日 お仕事 コメント (2)
今年の仕事も残すところあと3日――。

家業を継いで18年目の今年。
僕はいくつかのテーマを意識して、
日々を過ごしていました。

この師走、その答えのひとつが見えた気がしています。

やっとか……そんな気持ち。

ひとつのことをやり続けることで、
見えてくるものって、本当にあるのかも知れません。

そして、またひとつ新しい壁ができて、
そこに向かっていくわけです。

あと3日、悔いのないように、しっかりと。

縁と絆・4

2008年7月30日 お仕事
「マスター、もう一杯」
学校長の声が熱海の街中の小粋なバーに響いた。
ホテルでの親睦会を終えての二次会。
メンバーは学校長と校友会の副会長のYさんと僕。

カシアスさんの話、学校の話……
ビールを飲みながらひたすら語らう。
学校長はすぐに顔が紅くなる。
逆にYさんは完璧な下戸なのでジュースで雰囲気に酔っている。

ネクタイを外し、もう一杯ビールを飲む。

Yさんの娘さんもこの学校の卒業生だ。
そして、僕の長男はまだ小さい頃、
学校長の手に抱かれたことがある。

「そろそろ、行きますか」
すらりとした長身の学校長が背広を羽織った。

【終わり】

縁と絆・3

2008年7月28日 お仕事
手で伝える絆――。

カシアスさんの講演のテーマ。
ボクシングジムの会長として、手を介し技術を伝える彼。
僕らの仕事も手を使い、人の心と体にアプローチを試みている。

「僕らも皆さんも一緒ですよね」

末期ガンと宣告されながらも、日々を明るく生きるカシアスさんは、
人や日常と精一杯向き合い、ボクシングと向き合っている。

一緒だから――

僕はこの言葉を何度もカシアスさんから聞いた。
いつかのジムで、この日の喫茶室で、そしてこの講演で。
彼の中にチャンピオンだからとか、ボクサーだからとか、
そんな、人の諸々の区別はない。

ネクタイを締め、真っ直ぐに僕らを見つめ、
とつとつと静かに笑みを湛えて語り続ける。

「時計を部屋に忘れちゃってさ、ドキドキしていたよ」
「何度もサインを送ってたのに」

講演を終わってからのカシアスさんと奥様のミミコさんが笑っている。
失礼ながら僕も一緒に笑わせてもらった。

【つづく】

縁と絆・2

2008年7月24日 お仕事
夏休みが始まったばかりの熱海のNホテルは、家族連れで賑わっていた。
総会を終え、カシアスさんの講演会に先立っての研修会。
選ばれた卒業生3人と外部講師による4人による実技講習だ。
4箇所のブースに分かれ、鍼、灸、手技。
それぞれの持ち味を生かした方法で、「肩こり」をテーマに研修を進める。

その4人の中に卒業以来、17年ぶりに会う同期のKさんもいた。
昔と変わらぬ熱血漢のKさん。
情熱溢れるトークとしっかりした手。
刺激になり、勉強にもなった。

他のブースにも足を運ぶと、どこも熱い向学心の熱気が立ち込めている。
特に学生の目は鋭い。OBの1人として、後輩たちを誇りに思った。

「羽生さん、お知り合いの方がお見えになっています」
学校の事務課長に呼ばれてブースの外に出ると、
待ち人が本当に来てくれていた。
このブログで知り合ったMさんご夫妻。
驚いた。そして、ブログのままの雰囲気が嬉しかった。
ネットの負の部分が強調されがちな昨今、信じられる人は必ずいる。

久しぶりの人、初めての人、心の奥が騒ぎ始めた。

【つづく】
何年前だろうか――

沢木耕太郎氏の「一瞬の夏」。
29歳のボクサーのカムバック劇を書き綴ったノンフィクション。
何人もの人が読んだ名著を僕も数年前に読んだ。

カシアス内藤さん。
ボクサーにしてはあまりにも優し過ぎる青年が本の中にいた。
辿り着きそうで、結局辿り着けなかった「世界チャンピオン」の夢。
でも、カシアスさんは紆余曲折の末、
自分の城を持つというもうひとつの夢を実現した。

横浜の石川町にあるボクシングジム。
2年前、僕は図々しくもそのジムを訪れた。
小さいけれど活気に溢れたジムだった。

そして、7月20日の海の日。
カシアスさんは熱海で開催された母校の講演会に来てくれた。

講演の前にカシアスさんご夫妻とお茶を飲む。
飲みながら「縁と絆」という言葉がよぎった。
カシアスさんだけではない。
僕はこの日、様々な人たちの縁と絆にどっぷりと浸かることになる。

【つづく】
熱海にある某医療専門学校の特別講義――。
僕もOBのひとりとして、年1回だけの講義に向いました。
相手は卒業を間近に控えたマッサージ師や鍼灸師を目指す学生たち。

少し早くこの世界に飛び込んだ者として、
自分なりのやり方や自分なりの思いをぶつけます。
真剣な眼差し、メモを取る手、繰り返される質問……
いつもながら後輩たちから大いに刺激を受けました。

帰りの東海道線に揺られながら、
もっとやれたはずだと、毎年、反省しています。
外は静かに雨が降っています。

これから、今年最後の仕事。
できたこと、できなかったこと。
変えようと思うこと、ずっと守りたいこと。

たったひとりの職場――

人を見つめ、自分を見つめ、
仕事納めのこの日を、
しっかりとやり抜きたいと思います。
仕事である人の家へ行きました。

初老のご主人がいて、奥さんがいて。
娘さんたちは既に嫁いで、家にはいません。

夫婦でコツコツと過ごしてきた佇まい。
家に入った瞬間から、温和な空気を感じました。

その空気の中にどっぷりと浸かるべきなのか、
それとも少し距離を置くべきなのか、
仕事で無ければ迷わず、僕はその空気に身を委ねます。

いい仕事をする為の最善のコミュニケーションって……
なかなか難しいものですね。
15年前の今日――

熱海のアパートから、父親の運転する軽トラックで、
横浜に戻ってきました。

ささやかな荷物を積んで海沿いを走りました。
ちょうど今日のような天気でした。

帰りの途中、蕎麦屋によって食べた蕎麦の味は憶えていませんが、
父親が珍しく蕎麦を残してしまったのを良く憶えています。

「食べきれないの」
「なんだか疲れちゃってな……」

翌日、僕は新しいスタートを切りました。
父親たちが作り上げた小さな治療院は、今は僕が継いでいます。

あと2日

2005年12月29日 お仕事
今日を含めて、僕の仕事もあと2日になりました。

もっとやれたこと、実力不足を痛感したこと、
自分のイメージした通りになったこと……

今年もひとりひとりと向き合って、
相手とともにことを成し遂げようとしてきました。
でも、まだまだです。

あと2日、じっくりと、しっかりと。

信じる気持ち

2005年5月18日 お仕事
ある人を、あることで信じ切れないでいました。

ささやかなことでしたが、
ああだ、こうだとその人のことを勝手に詮索していました。

それは杞憂でした。

今日、その人が僕の前に現れ、
自分の非を心から詫びていました。
詫びる必要も、謝る必要もないことです……。

僕自身が信じ続けてあげていれば済んだことですから。

往診

2005年4月28日 お仕事
たまに仕事で往診があります。

通常の仕事を終えての夜、車を走らせて先方のお宅に伺います。
自分のフィールドではない場所で仕事をするのは
少し違和感もありますが、自分のスキルを高める仕事でもあるかもしれません。

昨日は2人の体を診て来ました。
帰りの車、どっと虚脱している自分がいました。
コンビ二でも寄って、軽く摘もうとも思いましたが、やめました。

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