16年前の今日――。
長男のリョウが初めて僕ら夫婦に抱かれました。
どんよりと曇った1991年6月8日。
カミサンの実家のある富士市のとある産院。
今でもその日のことはしっかりと憶えています。
土曜日の夕方の産院はひっそりと静まり返り、
僕はたった一人廊下でその時を待っていました。
遠くでかすかに赤ちゃんの声。
「元気な男の子ですよ」
助産師さんに抱かれたリョウは、
小さいながらも、もぞもぞと手足を動かしていました。
16年後の朝。
「あっという間だね」とカミサン。
「いってきます」といつものように自転車に跨るリョウ。
16年前、僕はこんな風景を思い描いていたのか、どうか。
長男のリョウが初めて僕ら夫婦に抱かれました。
どんよりと曇った1991年6月8日。
カミサンの実家のある富士市のとある産院。
今でもその日のことはしっかりと憶えています。
土曜日の夕方の産院はひっそりと静まり返り、
僕はたった一人廊下でその時を待っていました。
遠くでかすかに赤ちゃんの声。
「元気な男の子ですよ」
助産師さんに抱かれたリョウは、
小さいながらも、もぞもぞと手足を動かしていました。
16年後の朝。
「あっという間だね」とカミサン。
「いってきます」といつものように自転車に跨るリョウ。
16年前、僕はこんな風景を思い描いていたのか、どうか。
コメント
おめでとうございます。慈しみ育てたわが子への想いは
そのまま、羽生遊さんのご両親からのご自分への想いだと想いますよ。
子を持って知る親の想い なんて言いますものね。
羽生遊さんの情景描写に、我が家の時はどうだったかな?なんて
ふと想ったりしました。
憶えてくれているだんなさんって、素敵です。
そうだったんですか……
同じ名前の息子を持つ親として、
これからも宜しくお願いします。
うちは3人子供がいますが、
それぞれ生まれた日にそれぞれの思い出があります。
誕生日にはその日のことを話したりもします。
子供は照れていますけどね(笑)。
でも、母親は父親よりも強くて深い思い出として、
心の中に刻まれているんでしょうね。