子供にスポーツをさせることで
発見させたい「何か」とはどんなものか?
――プロローグより

著者の永井さんは読者に問いかけます。

少年期のスポーツが勝利第一主義に陥った時、
大人の悪しき論理がまかり通るだけの、
つまらないものになってしまうのかもしれません。

スポーツは本来、技能の習熟度に関係なく楽しめるもの。

自分で考え、失敗を恐れずにチャレンジをし、
そのスポーツの真の楽しさを知る。
そんな機会を大人は子供たちに与えて欲しいと思います。

僕たち大人はスポーツが大好きな子供たちの、
援助者であり続けたいものです。

コメント

メイ
メイ
2007年10月6日10:13

子供達が小学生だった頃、父母会が母体のサッカー少年団に入っており、主人も審判の資格をとったり、それなりに協力していたことがあります。
しかし、サッカーが盛んな地域性でしょうか…。
低学年のうちから、ABチームに振り分け、大人が優劣をつけてしまう偏った運営に疑問を感じ、しだいに主人は遠ざかり、子供達も落ちこぼれていき、本来なら楽しいはずのサッカーが嫌いになっていってしまったようです。
勝ちたい気持ちもわかりますし、上手い下手は、当然あると思いますが、みんなで楽しめる時期というのは、この少年期以外にないのではないでしょうか。
いろんな子がいるからこそおきるハプニングやふとした思いやりや連帯感など、その時は感じなくても、将来懐かしく思い出す日がくるように思います。
わざわざ、大人が子供達にねたみやコンプレックスを与えるきっかけをつくる必要はないですよね。

羽生遊
羽生遊
2007年10月6日22:27

メイさんへ
そうでしたか……
僕もメイさんと全くの同感です。
スポーツを経験することから、壁を乗り越える力や、
負ける悔しさを味わうことも確かに大切なことです。
ただ、それも練習や試合が思う存分に
参加できた上だと僕は思います。

ABチームに分けなくたって、それはできる。

今の少年のスポーツの状況を見ると、
どうも大人の論理で振り回している気がします。

スポーツを通じての失敗や負けることを認め、許容し、
それを成長の機会とし、
色んな子供たちの存在を個性を大切にすることが、
指導者や僕たち親に課せられた役割だと思います。

メイさんのお子さんたちは、それでもそこから羽ばたいて、
今があるのだと思いますよ。

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