その時、風が吹いた・3回目の御巣鷹にて
「運転はできるから」と群馬の父から電話があった。この夏は諦めかけていた御巣鷹登山。父に背中を押されるように、3回目の登山を決めた。
なぜ3回も登るのか、なぜ遺族でもないのにと、疑問を抱く人もいるかもしれない。その答えはまだ出ていない。ただ、ひとつだけはっきりしていることは、御巣鷹は29年前、520人もの命を奪ってしまった稀有な山ということだ。

御巣鷹の慰霊登山はいつも父が先導していた。その父は膝を痛め、大事をとり、麓の温泉で休んでいるという。それゆえ、この夏の御巣鷹は2度目の妻と初めての長男と3人で登ることになった。

麓の浜平温泉に車を停め、約2時間に及ぶ運転を買って出てくれた父からハンドルを引き継ぐ。山道入り口まではあと20分程度。暗いトンネルの続く山道は追いかけてくる車はなく、すれ違う車さえも数台だった。急なカーブをゆっくりと登りながら、道は徐々に目的地へと近づいた。ハンドルを握りながら改めて思う。とんでもない山奥に、ジャンボ機は墜落してしまったんだと。

すっかり整備された山道入り口に車を停め、父が用意してくれた杖をそれぞれに持つ。特別涼しくはないが、暑くもない。やや湿り気のある空気は、動かずにいればひんやりと感じることができる。川のせせらぎ、鳥の声、緑溢れた山道……自然を肌一杯で感じられる御巣鷹だが、登る意味は普通の山とはやはり違う。
何故だろう。尾根への足取りが、過去2回のここでの登山に比べて確実に重い。
歳のせいだろうか、それとも――余計な考えが頭をよぎり、素直な気持ちを奮い立たせる。登山道は決して急峻ではないが、何かに吸い込まれていくようで不思議な感覚がある。23歳の長男は足取りも軽く先へ先へと登って行くが、しばらく歩くと妻が呼吸を乱し、とうとう歩みを止めてしまった。
「しばらく、休もう」
行程もあと3分の1、水を飲み、グミを口に含んで、少し元気を取り戻した妻と共に尾根を目指す。一歩一歩、ゆっくりゆっくり……何の為に御巣鷹を登るのか、その疑問への答えは登りながらも、まだ見つからなかった。

尾根に辿り着くと、命を絶たれた520人を慰める「昇魂之碑」が建っている。静けさの中、そこには、すでに数人の登山者たちがいた。手を合わせる者、鐘を鳴らす者、ひと休みしている者。それぞれに何かを思いこの尾根にたどり着いた人たちだ。
「私、ここにいるから行って来て」
長男の背中が見え、精根尽き果てた顔の妻が先に行く様に促してくれた。「昇魂之碑」から更に尾根伝いに登っていくと、墓標の数も増え、焼け焦げたままの木の根もある。神妙な顔つきで周囲を見回す長男と共に更に上を目指す。
 ジャンボ機の先端が激突したと思われる場所には、機長たち3人の墓標が並んでいる。そこから尾根を見下ろすと、激突の痕跡を今でも確認することもできる。29年の時を経ても尚残る傷跡だ。

「もう少し、上に行ってみよう」
更に少し尾根を登る。自然のテラスのような場所があり、視界が開け、一瞬、御巣鷹に包み込まれるような感覚を覚えた。
その時、突然、風が吹いた。息子が心地良さそうな顔をしている。汗ばんだ頬を労わってくれるように、爽やかで涼やかな風が僕たち親子を出迎えてくれた。木々が揺れる音、流れる風の音……しばらくの間、僕たちは尾根の風にただ身を委ね、そこからゆっくりと下った。

麓の温泉に着くと、父が休憩室から丁度出てくるところだった。約3時間の待ち時間を湯治に使い、過去の人生を振り返っていたらしい。
「もう一度、温泉に入るかな」
5年前、初めての御巣鷹登山は父の提案だった。その時は幼い娘と3人、一昨年の2度目は妻と娘と僕と4人。昔から社会派の父は、御巣鷹を一緒に登ることで家族に何かを伝えたかったに違いない。そして、今回は初めて父不在の登山だった。

「慰霊の園に行ってみないか」
温泉で登山の疲れを癒し、遅い昼食を食べたところだった。麓には地元の上野村が中心となって建てた「慰霊の園」がある。そこは今まで訪れたことはなかったが、今回御巣鷹に登れなかった父は、そこで手を合わせたかったのかもしれない。浜平温泉からは車で15分程度、静かで長閑な場所に「慰霊の園」はあった。
「慰霊の園」には御巣鷹の尾根に向かって、手を合わせるように建てられた大きな慰霊塔があった。その後方には犠牲者全員の名前が刻まれた石版もある。無駄な音は一切ない。父と妻とそして息子と、静かに祈りの時を過ごし、命の重みを噛みしめた。

なぜ、御巣鷹を登るのか――3回目の登山を終え、その答えが今回はおぼろげながら見えたような気がする。当時、人間の英知を駆使して作られた最先端のジャンボ機が、手つかずの自然に囲まれた御巣鷹の尾根に激突した。ジャンボ機は520名の命を救えず、奇跡的に生還した4名の生存者にも大きな傷を負わせ、真夏の御巣鷹に砕け散った。

本当に大切なものは? 語り継がなければならないものは? その答えを求めて父や妻や娘、そして息子と、僕は御巣鷹の尾根へと向かっていたのだと思う。
単に興味本位の登山と思われてしまうかもしれない。でも、遺族でない僕らのような人間も、御巣鷹に散ってしまった命の重みを噛みしめ、伝える必要があると思うのだ。

登山を終え、祈りを終え、僕らは尾根を下った。でも、あの尾根からずっと下ることができない人たちがいることを、心の片隅に留めておきたいと僕は思う。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索