理不尽さと向き合って
2015年6月3日 エッセイ コメント (2)「理不尽だなぁ」と思うことが世の中には多い。
理不尽さの尺度はそれぞれに違えども、
大人になるにつれて、その理不尽さに慣らされて、
「まぁ、いいか」と諦めてしまうことも多いと思う。
社会に揉まれるとはそう言うことなのかもしれないが、
間違っていることは、間違っているんだと、
やっぱり叫び続けていたいと僕は思う。
息子たちもそんな理不尽さに立ち向かい、もがいているようだ。
自分の足りないところを認め、
妥協しなければならないこともあるだろう。
それでも、心の奥底では自分をしっかり持ち、
社会の荒波の中、堂々と真っ直ぐに歩いて欲しいと思う。
果たして、自分はどうか――
立ち止まり自分に問いかけてみようと思う。
理不尽さの尺度はそれぞれに違えども、
大人になるにつれて、その理不尽さに慣らされて、
「まぁ、いいか」と諦めてしまうことも多いと思う。
社会に揉まれるとはそう言うことなのかもしれないが、
間違っていることは、間違っているんだと、
やっぱり叫び続けていたいと僕は思う。
息子たちもそんな理不尽さに立ち向かい、もがいているようだ。
自分の足りないところを認め、
妥協しなければならないこともあるだろう。
それでも、心の奥底では自分をしっかり持ち、
社会の荒波の中、堂々と真っ直ぐに歩いて欲しいと思う。
果たして、自分はどうか――
立ち止まり自分に問いかけてみようと思う。
コメント
言っています。
小さいことですが、世の中を象徴していると思います。
私も息子も、今まさしく立ち止まっています。
古い考えと思われてしまうかもしれませんが、
世の中には不変のこと、忘れてはならない大切な思いがあると
僕は思っています。
naochanの旦那様も日々そんな思いと向き合っていらしゃるようですね。
小さなことに目を向けること、大事だと僕も思います。
それに、苦しい時、もがいている自分に気が付いた時、
立ち止まること、すごく大事だと思います。