夏の群馬での登山はもう何度目になるのだろうか。子供が幼い頃から、夏は必ず父の暮らす群馬へと行く。その父も82歳、昨夏は膝を悪くして、御巣鷹慰霊登山を断念した。
「今年は雨乞にしようよ」
提案したのは僕だった。昨年行けなかった御巣鷹への思いも父は強いようだったが、2年ぶりの登山を考慮して、雨乞山を提案した。
群馬県の沼田市にある雨乞山の標高は1000m程度。歩行距離も登山口から頂上まで1500mで、一昨年の登山ではハイキングのように山登りを楽しめた。父の膝のこともあったが、雨乞山は低い山ながら自然に満ち溢れた散策道が続き、視界の広がる頂上もある。それなりに達成感もあり、みんなで気軽に登れるだろうと思った。
メンバーは父と僕の他は、長男のリョウと娘のユイ。24歳と18歳、もう幼い頃の2人ではないが、父にとって孫はいつまで経っても孫のはずだ。土曜の仕事を終え、群馬に着いたのが午前0時。父はすでに寝ていて、「キュウリを肴に冷蔵庫のビール飲むように」との書置きがあった。渇いた喉をビールで潤し、登山に備えてすぐに床に就いた。
朝6時、すでに父は起き、朝食の支度をしていた。自宅の畑で作るキュウリとナスに焼き鮭が用意され、あとは食べるだけになっていた。再会の挨拶を済ませ、みんなで父が作った朝食を頬張った。
「ユイちゃん、髪の毛を染めたのか。さすがに今の若い娘だな」
さりげない言葉にも、歳を重ねた柔らかさがある。
「おじいちゃん、ナス美味しいよ」
ユイもそうだが、長男のリョウも普段、父親の僕には見せない顔を祖父には見せる。いくつになっても祖父母と触れ合うことは子供にとっても、大切なことなのだろう。
朝食を平らげ、身支度を整えると「そろそろ行くぞ」の声。天気は快晴、もちろん夏の群馬特有のむっとした暑さもある。それでも3世代での登山ができる喜びを感じて、目的地の雨乞山へと出発した。
夏の登山ではいつも父が目的地までの運転を買って出る。昔から運転が好きな父はこの歳になっても、長距離運転を苦にしない。助手席から景色を眺めると、道路は広く綺麗に整備され、良くも悪くも総理大臣を4人も出した土地柄だと改めて思う。
車も沼田市街に入ると、街は夏祭りの準備をしているようだった。日本の夏と言えば、やはり祭り。古くから伝わる風習は、どんなに時代が進んでもなくならないものだと感心した。
雨乞山に近づくにつれて、徐々に車は少ななくなり、すれ違う車もなくなって来た。そうこうしているうちに、いよいよ山道になり、車がすれ違うことも難しい細く急な坂道になった。そんな道でもしっかりと舗装されているから大したものだ。先客のいない駐車場に車を停める。さすがにここは土と草のただの空き地だ。まだ涼しいとは言えないが、風はどこか柔らかい。夏の登山でご用達の父手製の杖を持ち、山頂に向けての一歩を踏み出した。
緩やかに続く山道には木々の緑が溢れ、蝉しぐれが鳴り響く。昨日は雨が降ったのだろう。道はところどころ湿っている。先頭はユイ、その後をリョウと父。僕は最後尾から追いかけた。軽い足取りでどんどんと先を行くユイとリョウ。若者にとって、この程度の山道は散歩に毛が生えた程度なのかもしれない。
しっかりとした足取りで歩く父の背中は相変わらずどっしりしている。療道と八木節の道を究め、尚且つ趣味の千代紙細工も徹底的に拘っている。追いつこうとしても追いつけないどっしりとした背中。そんな背中を僕はずっと見てきた。自分には自分の道があると、父の背中に追いつこうとすることはとっくに諦めはしたが、それでも自分らしく、それでいて父の存在を意識し、追いつくことのできない背中をせめて側道の斜め後ろからでも、見届けようと思っている。
登山とは不思議なものだ。自然を堪能し、人間の小ささを感じながら、父の後ろから、時に肩を並べて、ゆっくりと歩いていると、何故かお互いの人生に思いを馳せずにはいられなくなる。
「もう、少しだろ」
「まだ、半分だよ」
目印の案内板にはあと800mと記されていた。一昨年のイメージよりも父も僕も、ここを長い行程に感じている。2年の月日は距離感も少し変化させているようだ。すれ違う人は、まだ誰もいない。父と僕、長男と娘だけの贅沢な山道。静寂の中、リックの熊よけの鈴が、ちりんちりんと鳴った。
「そのキノコは食べられないぞ」
「その山イチゴはうまいぞ」
孫たちに説明しながら散策を楽しむ父。カエルが跳び跳ね、アブがまとわりつこうとする。山に住む生命の諸々がいつも何かを教えてくれる。思えば、僕も幼い頃から自然の溢れる場所へと父に誘われた。父ほどの自然愛好者に自分がなったとは思わないが、山や川のほとりに身を委ねることに僕も心地良さを感じている。
話しながら、汗をかきながら、3世代で歩き続けた山道もいよいよ頂上が見えた。ゆっくり一歩一歩、大きな達成感はないが、小さな山の頂にもそれなりの爽快感がある。4人で肩を並べて、眼下の沼田の街を見下ろし、少し近くなった空を仰ぐ。すっと風が吹き、さっと汗がひいた。
「じゃあ、昼にするか」
少し早い昼食、往路の途中、道の駅で買ったお握りとおはぎ。青空の下で食べるものは格別の味がする。父を中心に写真を撮り、人生の思い出のページがまた増えた。
雨乞山の頂上に改めて立つと、ここは自分らしい頂だなと頬が緩む。世界最高峰のエベレストや日本一の富士山と比較すると余りにも低すぎる雨乞山。ここまで52年、自分はごく平凡な普通人としての道を歩んできた。でも、両親がいたからこそ、人並みに学校を卒業し、好きなスポーツに打ち込み、結婚し、妻や子供たちに恵まれ、幸せな家庭を持つことができている。確かに有名人にもならなかったし、金持ちにもなっていない。無名の人として地位も名声もなく、父の後を継いだ仕事も二代目としては、まだまだ半人前である。
これから先も、きっと人生の山としてのエベレストや富士山に挑むことはないだろう。でも、何度も何度も雨乞山のような小さな山を登ることで、自分らしい人生の山を登ることができるはずだ。目立たなくいい。どこにもいない唯一の普通人として、人生のエベレストや富士山に登った人たちを見上げるでもなく、我ここにありと、静かに自分だけの頂に立っていられればと思うのだ。
1時間ぐらいいただろうか。父もリョウもユイも、下山を忘れたように家族での憩いの時間を過ごしていた。肩を組む父とユイ、3世代並んでの笑顔。ささやかな幸せの瞬間をこれからもずっと大切にしていこうと心から思う。
「さぁ、下るか!」
雨乞山に父の声が響いた。蝉しぐれに負けじと、父の声が太く響いた。
「今年は雨乞にしようよ」
提案したのは僕だった。昨年行けなかった御巣鷹への思いも父は強いようだったが、2年ぶりの登山を考慮して、雨乞山を提案した。
群馬県の沼田市にある雨乞山の標高は1000m程度。歩行距離も登山口から頂上まで1500mで、一昨年の登山ではハイキングのように山登りを楽しめた。父の膝のこともあったが、雨乞山は低い山ながら自然に満ち溢れた散策道が続き、視界の広がる頂上もある。それなりに達成感もあり、みんなで気軽に登れるだろうと思った。
メンバーは父と僕の他は、長男のリョウと娘のユイ。24歳と18歳、もう幼い頃の2人ではないが、父にとって孫はいつまで経っても孫のはずだ。土曜の仕事を終え、群馬に着いたのが午前0時。父はすでに寝ていて、「キュウリを肴に冷蔵庫のビール飲むように」との書置きがあった。渇いた喉をビールで潤し、登山に備えてすぐに床に就いた。
朝6時、すでに父は起き、朝食の支度をしていた。自宅の畑で作るキュウリとナスに焼き鮭が用意され、あとは食べるだけになっていた。再会の挨拶を済ませ、みんなで父が作った朝食を頬張った。
「ユイちゃん、髪の毛を染めたのか。さすがに今の若い娘だな」
さりげない言葉にも、歳を重ねた柔らかさがある。
「おじいちゃん、ナス美味しいよ」
ユイもそうだが、長男のリョウも普段、父親の僕には見せない顔を祖父には見せる。いくつになっても祖父母と触れ合うことは子供にとっても、大切なことなのだろう。
朝食を平らげ、身支度を整えると「そろそろ行くぞ」の声。天気は快晴、もちろん夏の群馬特有のむっとした暑さもある。それでも3世代での登山ができる喜びを感じて、目的地の雨乞山へと出発した。
夏の登山ではいつも父が目的地までの運転を買って出る。昔から運転が好きな父はこの歳になっても、長距離運転を苦にしない。助手席から景色を眺めると、道路は広く綺麗に整備され、良くも悪くも総理大臣を4人も出した土地柄だと改めて思う。
車も沼田市街に入ると、街は夏祭りの準備をしているようだった。日本の夏と言えば、やはり祭り。古くから伝わる風習は、どんなに時代が進んでもなくならないものだと感心した。
雨乞山に近づくにつれて、徐々に車は少ななくなり、すれ違う車もなくなって来た。そうこうしているうちに、いよいよ山道になり、車がすれ違うことも難しい細く急な坂道になった。そんな道でもしっかりと舗装されているから大したものだ。先客のいない駐車場に車を停める。さすがにここは土と草のただの空き地だ。まだ涼しいとは言えないが、風はどこか柔らかい。夏の登山でご用達の父手製の杖を持ち、山頂に向けての一歩を踏み出した。
緩やかに続く山道には木々の緑が溢れ、蝉しぐれが鳴り響く。昨日は雨が降ったのだろう。道はところどころ湿っている。先頭はユイ、その後をリョウと父。僕は最後尾から追いかけた。軽い足取りでどんどんと先を行くユイとリョウ。若者にとって、この程度の山道は散歩に毛が生えた程度なのかもしれない。
しっかりとした足取りで歩く父の背中は相変わらずどっしりしている。療道と八木節の道を究め、尚且つ趣味の千代紙細工も徹底的に拘っている。追いつこうとしても追いつけないどっしりとした背中。そんな背中を僕はずっと見てきた。自分には自分の道があると、父の背中に追いつこうとすることはとっくに諦めはしたが、それでも自分らしく、それでいて父の存在を意識し、追いつくことのできない背中をせめて側道の斜め後ろからでも、見届けようと思っている。
登山とは不思議なものだ。自然を堪能し、人間の小ささを感じながら、父の後ろから、時に肩を並べて、ゆっくりと歩いていると、何故かお互いの人生に思いを馳せずにはいられなくなる。
「もう、少しだろ」
「まだ、半分だよ」
目印の案内板にはあと800mと記されていた。一昨年のイメージよりも父も僕も、ここを長い行程に感じている。2年の月日は距離感も少し変化させているようだ。すれ違う人は、まだ誰もいない。父と僕、長男と娘だけの贅沢な山道。静寂の中、リックの熊よけの鈴が、ちりんちりんと鳴った。
「そのキノコは食べられないぞ」
「その山イチゴはうまいぞ」
孫たちに説明しながら散策を楽しむ父。カエルが跳び跳ね、アブがまとわりつこうとする。山に住む生命の諸々がいつも何かを教えてくれる。思えば、僕も幼い頃から自然の溢れる場所へと父に誘われた。父ほどの自然愛好者に自分がなったとは思わないが、山や川のほとりに身を委ねることに僕も心地良さを感じている。
話しながら、汗をかきながら、3世代で歩き続けた山道もいよいよ頂上が見えた。ゆっくり一歩一歩、大きな達成感はないが、小さな山の頂にもそれなりの爽快感がある。4人で肩を並べて、眼下の沼田の街を見下ろし、少し近くなった空を仰ぐ。すっと風が吹き、さっと汗がひいた。
「じゃあ、昼にするか」
少し早い昼食、往路の途中、道の駅で買ったお握りとおはぎ。青空の下で食べるものは格別の味がする。父を中心に写真を撮り、人生の思い出のページがまた増えた。
雨乞山の頂上に改めて立つと、ここは自分らしい頂だなと頬が緩む。世界最高峰のエベレストや日本一の富士山と比較すると余りにも低すぎる雨乞山。ここまで52年、自分はごく平凡な普通人としての道を歩んできた。でも、両親がいたからこそ、人並みに学校を卒業し、好きなスポーツに打ち込み、結婚し、妻や子供たちに恵まれ、幸せな家庭を持つことができている。確かに有名人にもならなかったし、金持ちにもなっていない。無名の人として地位も名声もなく、父の後を継いだ仕事も二代目としては、まだまだ半人前である。
これから先も、きっと人生の山としてのエベレストや富士山に挑むことはないだろう。でも、何度も何度も雨乞山のような小さな山を登ることで、自分らしい人生の山を登ることができるはずだ。目立たなくいい。どこにもいない唯一の普通人として、人生のエベレストや富士山に登った人たちを見上げるでもなく、我ここにありと、静かに自分だけの頂に立っていられればと思うのだ。
1時間ぐらいいただろうか。父もリョウもユイも、下山を忘れたように家族での憩いの時間を過ごしていた。肩を組む父とユイ、3世代並んでの笑顔。ささやかな幸せの瞬間をこれからもずっと大切にしていこうと心から思う。
「さぁ、下るか!」
雨乞山に父の声が響いた。蝉しぐれに負けじと、父の声が太く響いた。
コメント
そして、お父様の存在感を私も十分に感じさせていただきました。
羽生遊さんの懐の深いところは、お父様譲りですね。
いつまでもお元気でいらしてください。
そう、思いたくなるエッセイでした。
いつも温かいコメントありがとうございます。
今回の文章は脚色のし過ぎで、父親譲りで僕は短気で相当な頑固者です。
なんか、勘違いをさせて申し訳ございません(笑)
このブログを通じて僕は自分探しをしているようなところがあります。
naochan たちとブログを通じてのお付き合いをさせて戴く中で、
色々と影響を受け、こんな自分もいたんだと、思うこともしばしばです。
ネット上ではありますが、すごく大切な繋がりだと思っています。
やり始めた頃はまだ子供たちも幼く、
たまに振り返るとこんなこと書いていたんだと、
恥ずかしくなることもありますが、読んで戴ける人がいるからこそ、
細々とでも続けてこられたんだと改めて感謝しています。
書くペースも気まぐれで、内容もなんだか偏っていますが、
今後とも、お付き合いの程、宜しくお願いします。
なぜか、連続投稿禁止になりましたので、
こちらへご返事させてください。
>羽生遊さんへ
未熟な私ゆえ、神様かご先祖様が素晴らしい先輩に
めぐり合わせてくださったのだと思っています。
私こそ、羽生遊さんの想いにいつも心洗われています。
ありがとうございます。