日曜日、昨年亡くなった叔父の四十九日の法要がありました。

記憶はセピア色になっていますが、
若い頃、東京にいた叔父には、随分と僕も可愛がって貰ったようです。

その日、群馬、渋川での法事は懐かしい顔がたくさん集まりました。

「たっちゃん、もうおじいちゃんなんだ」
「たっちゃんと会えて、良かったよ」

叔母や叔父、従妹たちとも、祖母の葬式以来、20数年ぶりの再会です。
自分の名前からの愛称で呼ばれるのも、
55歳の完璧なオジサンには何となく、気恥ずかしいものです。

それでも、縁は時を越えるものです。
みんな同じだけ、年月を過ごしているというのに、
昔のままの感覚で、和気あいあいと法要の後の宴が進みました。

お酒が大好きだった叔父も、そんな親戚たちの宴を、
天国から喜んでいたと思います。

コメント

まるこ
2018年1月15日19:23

渋川までおいでになったのですね。
日曜日は冷えましたね。
そうですね、法事でも無いと親戚一同なかなか顔を合わせる機会がないですもんね。
私も法事では良い歳したおばさんが「ちゃん」付けで呼ばれます。ちょっと照れくさいですね。でも縁は不思議で直ぐに和気あいあいとなります。あの感覚不思議ですね。叔父様もお喜びでしょう。良いご供養になりましたね。

nophoto
のりまき
2018年1月15日22:42

法事ってさ、今生きている人を集合させる場なんだよね。亡くなってもなお人には、(主に血縁だね)ゆかりの人たちを結びつける力を持ってるんだよね。そこで亡くなった人の昔話をすることで、自分が死んでもこんな風に人の中に生き続けるんだなって思わせる、とも言えるね。ぐるぐるぐるぐる人の命は続いていくんだね。仏教の回し者みたいな発言だけど(笑)ていうか、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などにも同じような法事があるのか知らんけど。

羽生遊
2018年1月16日18:06

まるこさんへ
日曜日の渋川は空気は少し冷たかったのですが、
風がなくて、予想以上に穏やかな陽射しでした。

朝早く出ての日帰りだったので、少し疲れはしましたが、
久しぶりに親戚たちと話すことができて良かったです。
本当に久しぶりなのに自然と会話がはずみ、
縁の力か、本当に不思議です。

羽生遊
2018年1月16日18:13

のりまき君へ
のりまきの言う通りだよ。
僕は横浜にいて、父親や親戚たちはほとんど群馬で、
日常的に会うことはないんだけど、
亡くなった命の力なのか、結びつきを感じた一日だったよ。

それはそうと、タケちゃんからのリクエストもあるので、
友達の縁で、春までには一杯やるよ。

naochan
2018年2月4日10:00

ご法事でしたか。お疲れ様です。
懐かしい方々にお目にかかるとすぐにタイムスリップしますね。
息子達もいつか同じ体験をするでしょう。
そうやって、順々に、受け継がれていくんですね。

羽生遊
2018年2月5日17:33

naochanへ
親戚とも法事や祝い事でしか、会わない人たちもいますが、
それでも昔のように話せて、何だか懐かしくて。
叔父が縁を集めてくれたんだなと思いました。

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