「火花」を読み直して
2019年1月22日 エッセイ コメント (6)特に根拠もなく、他者や自分と違う意見や主張をする人たちを、
強く、厳しい言葉で批判する傾向が最近多いような気がします。
そんな時、なんとも言えないむなしい気持ちになります。
特にネットの世界では匿名性もあってか、
人格を否定したり、攻撃したり、
おいおいと思ってしまうこともしばしばです。
少し前に書いた、安田純平さんの件もそうですが、
最近、沖縄でハンストと言う意志表示で、
県民投票の全県実施を訴えた若者に対して、
心無い言葉を投げかける人たちがいます。
人はお互いに持ちつ持たれつで生きているわけですから、
例え、その人の行為に疑問を持ったとしても、
その思いの伝え方を、批判する権利はないと思います。
表面的なところではなくて、
何故、その人がその行為をしようと思ったのか、
本質的なところに思いを向かわせる必要があると思うんです。
小説「火花」(文春文庫・又吉直樹氏著)の中にも、
そんなことに触れている部分があります。
年末年始に再読し、改めて考えさせられました。
強く、厳しい言葉で批判する傾向が最近多いような気がします。
そんな時、なんとも言えないむなしい気持ちになります。
特にネットの世界では匿名性もあってか、
人格を否定したり、攻撃したり、
おいおいと思ってしまうこともしばしばです。
少し前に書いた、安田純平さんの件もそうですが、
最近、沖縄でハンストと言う意志表示で、
県民投票の全県実施を訴えた若者に対して、
心無い言葉を投げかける人たちがいます。
人はお互いに持ちつ持たれつで生きているわけですから、
例え、その人の行為に疑問を持ったとしても、
その思いの伝え方を、批判する権利はないと思います。
表面的なところではなくて、
何故、その人がその行為をしようと思ったのか、
本質的なところに思いを向かわせる必要があると思うんです。
小説「火花」(文春文庫・又吉直樹氏著)の中にも、
そんなことに触れている部分があります。
年末年始に再読し、改めて考えさせられました。
コメント
羽生さんのお考え、いつも「ほほう!!」と言った気持ちで拝読させて頂いています。こんな時代だからこそ本質的に向き合う気持ち大切ですね。
そして本質を見抜く眼力も同時に養わないとと自戒しています。
相手の気持ちにまで、心を持っていけない。
そんな風潮を感じます。
表面だけを見て、あれこれ言う。
それも無責任に。
羽生遊さんの言われる様に、匿名と言う
隠れ蓑を被って。
正々堂々と意見を言わず、裏であれこれ言う、
そんな輩には、絶対になりたくないです。
まるこさんが仰るように本質を見抜く眼力を養うこと、
本当に大切だと思います。
踊らされずにふと立ち止まり、思いを巡らすこと。
電車の中刷り広告の見出しに、たやすく驚かないこと。
大手メディアが最初に流すニュースに、なんでそれなのと思うこと。
色々とあるのかなと最近は思っています。
自分がブログで書くことも、決して自信があるわけではなくて、
コメントを頂くことから、もう一度考え直してみることも大切だと思ってます。
匿名と言う隠れ蓑、僕も同じく使っているのかもしれません。
そこに本当に自分があるのか、それは本当に自分の気持ちなのか、
大して考えもせずままに、踊らされている人もいるのかもしれません。
「火花」では主人公の先輩が、
ネットで相手に罵詈雑言を浴びせることで、その夜に生き延びれるなら、
それも仕方なしと言うようなことを語っています。
ただ、その人はそんなことをしている限り成長する機会を失い続けていると。
最近の風潮って、寂しくて悲しいですよね。
怒りの矛先は強く、強くあくどい者には向かわなくて、
なぜだか違う方向に行ってしまう。
でも、信じられる人は意外とたくさんいるんだと思っています。
家族や友達にもいるし、naochanたちのようにこのブログの中にもいます。
だから、自分にもまだまだできることがあると思っているんです。
同感です。
私は、自分の周りでキチンと生きていきたいと思っています。
一人一人がそうやって、責任を持って生きることがとても大切だと
最近、特に思いますね。ちゃらんぽらんな私でさえ、そう思うのですから。
自分をキチンと生きること、責任を持って生きること。
本当にnaochanの言う通りです。
自分にできることがあると言っても、ささやかなことでいい。
自分の周りのこと、家族のこと、身近な人たちとの付き合いの中で、
きっとまだまだできることがあると思うんです。
僕はnaochanをちゃらんぽらんなんて思ったことはありませんよ。
でも、ユーモアな精神はたくさん持っていらっしゃると思ってます。