妻と銀座を歩いていた。僕には場違いという言葉がしっくりとくる場所だ。
そんな銀座を歩くのには理由があった。
穎川(えがわ)麻美子 日本画展――彼女の日本画展に行くのは二回目、最初に見たのは、もう10年以上前だった。有楽町駅で降りて、銀座をさまよい画廊を目指す。「柴田悦子画廊」は並木通りの角、銀座の歴史を感じる小ぶりなどっしりとしたビルの2階にあった。和やかな話し声に誘われるように、画廊に入る。小ぢんまりと程よいスペースに所狭しとばかりに、花や草木の大小の日本画が飾られていた。
「あらっ、来てくれたの」
主役の声にお互い笑顔で挨拶を交わす。日本画家の穎川さんは僕にとっては、高校時代のクラスメートのひとりだった。
高校3年の時、穎川さんとは席が隣り合わせのことがあった。青春の時、クラスメートたちとの悲喜交々もたくさんあった。彼女は文科系、僕はどちらかといえば体育系、畑違いだったが、何故かよく話した。
卒業してからは会う機会はほとんどなかったが、彼女が東京の短大から京都の美術系の短大へと入り、日本画家となったことは知っていた。同窓の画家がいることが、何となく誇らしくもあった。
穎川さんは苦労と努力の末に、絵筆一本の生活を成り立たせている。画風のことをとやかくいえるほどの知識も感性も僕にはないが、彼女の絵には穏やかな風が頬に触れるような心地良さがある。技術的ことは一切わからない。謙虚な美しさが彼女の絵から溢れ出ているように感じるのだ。
ここ2年で描いたこの日の絵の数々も多彩だった。
「絵にはその人のその時の感情や人柄が本当に出るんですね」と妻がぽつりと感想を漏らした。穎川さんの絵のほとんどが草花だ。生きとし生けるもの。ほんのりとした色合いのものもあれば、寂しげな色合いのものもある。そのどれもが、穎川さんの分身なのかもしれない。絵に癒され、その空間に癒された。
画廊を出ると、銀座の人波が緩やかになったような気がした。
そんな銀座を歩くのには理由があった。
穎川(えがわ)麻美子 日本画展――彼女の日本画展に行くのは二回目、最初に見たのは、もう10年以上前だった。有楽町駅で降りて、銀座をさまよい画廊を目指す。「柴田悦子画廊」は並木通りの角、銀座の歴史を感じる小ぶりなどっしりとしたビルの2階にあった。和やかな話し声に誘われるように、画廊に入る。小ぢんまりと程よいスペースに所狭しとばかりに、花や草木の大小の日本画が飾られていた。
「あらっ、来てくれたの」
主役の声にお互い笑顔で挨拶を交わす。日本画家の穎川さんは僕にとっては、高校時代のクラスメートのひとりだった。
高校3年の時、穎川さんとは席が隣り合わせのことがあった。青春の時、クラスメートたちとの悲喜交々もたくさんあった。彼女は文科系、僕はどちらかといえば体育系、畑違いだったが、何故かよく話した。
卒業してからは会う機会はほとんどなかったが、彼女が東京の短大から京都の美術系の短大へと入り、日本画家となったことは知っていた。同窓の画家がいることが、何となく誇らしくもあった。
穎川さんは苦労と努力の末に、絵筆一本の生活を成り立たせている。画風のことをとやかくいえるほどの知識も感性も僕にはないが、彼女の絵には穏やかな風が頬に触れるような心地良さがある。技術的ことは一切わからない。謙虚な美しさが彼女の絵から溢れ出ているように感じるのだ。
ここ2年で描いたこの日の絵の数々も多彩だった。
「絵にはその人のその時の感情や人柄が本当に出るんですね」と妻がぽつりと感想を漏らした。穎川さんの絵のほとんどが草花だ。生きとし生けるもの。ほんのりとした色合いのものもあれば、寂しげな色合いのものもある。そのどれもが、穎川さんの分身なのかもしれない。絵に癒され、その空間に癒された。
画廊を出ると、銀座の人波が緩やかになったような気がした。
コメント
私の好きな色調です。
関西でも、される時は教えて下さい。
実際に、観てみたいです。
穏やかな気持ちになります。
実際に拝見したらもっと感動するのでしょうね。
こんなひと時も大事ですね。
絵画を観ること、芸術に触れること。
僕自身は柄でもないのですが、いくらかの繋がりがあり、
芸術の世界に身を置く人がいて、少し得した気分でいます。
穎川さんは横浜を拠点に京都へも定期的に行っているようです。
関西方面での展覧会の際は、お知らせしたいと思います。
実際の絵を観ると、本当に繊細で丁寧な筆さばきを感じます。
数年前に穎川さんと仕事で関わることがあったのですが、
今回の日本画展を作品を観て、
改めて彼女の描くことへの情熱の強さを感じました。
まるこさんのように陶器に関わったり、音楽を聴いたり、
今回、僕も芸術に触れることの喜びを実感しました。