ある場所で仕事を終え、誰もいない空間で1人になりました。
ひとりだな——
淋しいような、むなしいような、
それでいて、できる限りのことはやった充実感があるような、
少し遠くで躍動する若者たちが羨ましいような……
自分は少しばかり遠いところに来てしまったと、
ひとりぼっちを感じていました。
でも、誰からも束縛されない場所で、
ひとりぼっちでいることも、
そう悪くないことだと思いました。
ひとりだな——
淋しいような、むなしいような、
それでいて、できる限りのことはやった充実感があるような、
少し遠くで躍動する若者たちが羨ましいような……
自分は少しばかり遠いところに来てしまったと、
ひとりぼっちを感じていました。
でも、誰からも束縛されない場所で、
ひとりぼっちでいることも、
そう悪くないことだと思いました。
コメント
そんな気持ちになれると言うことは、如何に毎日が充実していて、孤独とかけ離れた愛情ある暖かいご家庭で生活なさっているからかもしれませんね。
時々思う事があります。雑踏の中にいても、誰もいない静かな場所にいても、家の中でも「私は孤独だな」って思う時は切ないものがありますよ。
羽生さんはきっと日々を大切に行きていらっしゃるのですね。
こんにちは。
>雑踏の中にいても、誰もいない静かな場所にいても、家の中でも「私は孤独だな」って思う時は切ないものがありますよ。
本当の孤独は、まるこさんのご指摘のようにそんな場面にこそあると思います。
帰る場所があり、笑ってくれる人たちがいる。
僕のように一瞬だけ感じる孤独は大したものではないと教えられたようです。
ただ、少し話はずれますが、時々、電車の中などで周りを見渡すと、
みんなが俯いて小さな画面を見たりしています。
僕は本を読んだり、妄想を楽しんだり(笑)、周りの風景を眺めたりしていると、
自分だけが違う存在のように感じます。(僕みたいな人もたまにはいます・笑)
そこでも、ひとりぼっちのような感覚になるのですが、
勝手に自分たけが束縛から解放されているような自由も感じています。
そう言えば、誰かが行っていました。
孤独と孤高は違うんだと。
大勢の中の孤独は、淋しいです。
でも、自分は自分でいたいので、「ま、いいか」になります。
家族を亡くして、天涯孤独になったとしたら、
きっと、頼れる親戚が居てくれても、孤独を感じると思います。その親戚にも家族は、いるわけで、私は家族ではないのですから。単に親戚縁者に過ぎません。
私も電車の中では読書か睡眠か(笑)長距離の場合はボーっと景色を見ています。たまに携帯で落語を聴いていますね。皆でワイワイも楽しく大好きですが、一人でいる時間も大切にしています。
おっしゃる通りですね〜!!
話が横に逸れますが「孤高のグルメ」とドラマは好きでして。
1人黙々とお食事をすると言うドラマなのですが、その様は実に充実していて。
それはたしかに孤独ではなく孤高だと思います。
羽生さんが電車で本を読んだり、風景を眺めたり、妄想したり。
これは孤独ではなく孤高です。はい。
こんばんは。詩人なんて、程遠い男です(笑)
「自分は自分でいたい」その気持ちを持ち続けることが凄く大切だと思います。
流行や大多数の意見に、なんとなく流れてしまって、
果たして自分はどこにいるのか、それすらどうでもよくなってしまうとか。
よく言う「人は人、自分は自分」naochanの考え、大賛成です。
ひとりの時間の楽しみも、大事だと感じているこの頃です。
こんばんは。確かに1人暮らしの孤独<家族の中にいての孤独ですね。
僕の父は群馬で1人暮らしをしていますが、孤高の人となって、
人生のラストシーンを大いに楽しんでいる風情です。
電車で聴く落語はどんな趣なんでしょうか。
ひとりでニヤリとしてしまうのも、ちょっと粋かもしれませんね。
向かい合う席でワイワイも良し、たったひとりで思いを巡らすも良しですね。
「孤高のグルメ」も良いですが、僕のおすすめは「ワカコ酒」
女子の1人のみもなかなか孤高です。
孤高ではありませんが、「深夜食堂」にも時々泣かされました(笑)
電車で本を読む人を見ると、なんとなく嬉しいものですが、
妄想はほどほどにしておきます(笑)