オーバーな言い方かもしれませんが、
今、この社会は、人間は、
何かに試されているのかなと思います。
これから、どんな社会であるべきか、
穏やかに、平和に暮らせる社会って……
ぼんやり、ふんわり、考えています。
いつものように過ごすことが、難しくなった今ですが、
降って湧いて来たような時間を大切に、
できること、やれること、いつかやりたいこと。
確実にある日常と寄り添いつつも、
そんなことに思いを巡らせています。
今がチャンスとはとても言えませんが、
色々なことを見つめ直す機会にはなっているかもしれません。
今、この社会は、人間は、
何かに試されているのかなと思います。
これから、どんな社会であるべきか、
穏やかに、平和に暮らせる社会って……
ぼんやり、ふんわり、考えています。
いつものように過ごすことが、難しくなった今ですが、
降って湧いて来たような時間を大切に、
できること、やれること、いつかやりたいこと。
確実にある日常と寄り添いつつも、
そんなことに思いを巡らせています。
今がチャンスとはとても言えませんが、
色々なことを見つめ直す機会にはなっているかもしれません。
コメント
おっしゃるとおりですね。この局面を如何に乗り切るか、我々人類は試されているのかも知れませんね。それにしては随分難しいミッションを与えられたようです。日々刻々と変わる現状。耳にするたび不安感が募ります。感染したくない、いや誰かに感染させたくない。そんな思いでおります。しかし直ぐには収束しそうにありませんね。羽生さんがおっしゃる様に具体的に出来る事、やれる事、したい事を明確にする事は日々の生活に張りを持たせてくれるかもしれませんね。私も雁字搦めになっておらずに、きちんと区分けで生活しないと!何せ今日より若い日は無いんですものね。「普段の毎日は実は特別な1日」と、先日終わった朝ドラの中の台詞。沁みました。羽生さん。いつも気付きのメッセージをありがとうございます。
そうなんです。降って湧いた時間なんです。
私も、歌の練習をする気にはなれません。だけど、日々、日常を生きる事も大切なのではないかとも思いました。はい、今までの個人レッスンの録音を聞き直しています。すると、気づけなかった注意にハッとします。
ばばさまが、いつも通りにデイサービスに行き、身体を動かし、スタッフの方たちと冗談を言いながら笑い、機嫌良く帰って来る。
この日常を守りたいです。だんなさんと喧嘩して言い合っても、すぐシレ~とご飯を食べて、テレビを観て笑っている。
当たり前にあるはずの日常、必死に守ります!
こんばんは。どうやら流行性のウイルスは、SARSのようにほぼ終息してしまうものと、新型インフルエンザのように、ずっと残り流行りの時期が必ずあるものがあるようです。
共存という言葉は語弊があるかもしれませんが、新型インフルエンザに対してはそれぞれの国で存在の認知度が高く、予防や治療方法が確立されています。
(インフルで亡くなっている方も年間相当数いるのですが、メディアや僕たちが意外に鈍感なのはその辺の意識にあるのでしょうかね……)
どうやら、新型コロナもそのような経過を辿るようです。
今回のように流行性のウイルスや大きな天災、人はどのように向き合うことが良いのか、どのような社会であればいいのか。考えさせられています。
「普段の毎日は実は特別な1日」、僕も噛みしめます。
こんばんは。日常の中にたくさんの喜びが転がっていて、それを感じつつ、
今できることをする、それが生き甲斐へとも繋がっていくんでしょうね。
naochanのコメントを読みつつ、そんなことを感じていました。
今回のような新型コロナでは、様々なストレスが襲いかかってきています。
過剰なストレスにやはり人は弱い。その苛立ちを他者に向けたり、あるいは、自分に向けたり。
でも、そこでnaochanのように立ち止まって、今できることがあるはずと考えてみると、すっと気が楽になるようです。
「心の傷を癒すということ」の中で、安さんがこんなことを綴っています。
『大げさだが、心のケアを最大限に拡張すれば、それは住民が尊重される社会を作ることになるではないか。それは社会の「品格」にかかわる問題だと私は思った。』
今がまさにそんな時なのかもしれませんね。