高校生の男子が拳銃を用いて自殺した悲しい報道がありました。
「高校生がどうして、拳銃、なんで」
そんな思いが沸き起こり、報道にもその部分を強調するかのようでした。

そんな時、星田英利さん(以前はほっしゃん)のツイッターに目が留まりました。
僭越ながら自戒を込めて、全文を引用させて頂きます。

『高校生が拳銃自殺をしたのは、ショッキングでセンセーショナルで、悲しいかな恰好のワイドショーネタになってしまうだろうけど、われわれ受け取る側が絶対に間違えたらダメなのは、「なにで」自殺したかよりも、「どうして」自殺したかのほうが比べられないくらい圧倒的に大事だってこと。』

ニュースはその人の捉え方によって、大きく変わります。
星田さんのツイッターも、その一端を伝えてくれているようです。

権力側にとって都合の悪い真実を、考え、見極める力。
本当に、今、いや、もっともっと前から、
僕たちは試されているように思います。

コメント

まるこ
2020年6月10日9:17

おはようございます。
ピストルで自殺?と言うショッキングでマスコミには格好な出来事。
皆がピストルに注目しますが、問題はそこじゃなく、何故若い彼がそんな事をしたかが問題なんですよね。私も多くの友人を自殺と言うショッキングな死に方て失くしました。私はもっと力になれなかったのか?と苦しみ抜いた日々もありました。私自身も未遂には終わりましたが、そんな恐ろしい事をしました。それで分かった事は死にたいんじゃないんです。消えたいんです。それほど追い詰められるほど苦しいのです。
そして自殺は自殺未遂の失敗なのだとも思いました。助けてーのSOSの最大の発令なんですよね。死にたい訳じゃない。助けてなんです。未遂に終わった私はラッキーでした。なので今でも亡くなった友人達は生きたかったんだと思うんです。
自殺は自殺未遂の失敗。その助けてーのSOSに誰がが手を差し伸べてくれたら、悲劇は格段に減ると思います。

naochan
2020年6月10日9:53

びっくりしましたよね。確かに。私は、まず、15歳という年齢にショックを受けました。それからのワイドショーはあまり見ていません。
新聞にも拳銃のようなもので、と有りましたが。
そうです。そうなんです。先日のボーガンの男の子と言い、
どうしたの、何があったの?と聞きたくなるような事件が続いています。
センセーショナルな事柄だけを取り上げて、周りがわぁわぁ言うのは違和感を憶えます。
やはり、親の立場に立ってしまいます。子どもを失った事。
その悲しみは計り知れません。端から見たら大したことで無くても、当人に取ってみたら、とてつもなく大きい事なんだと思います。今は、そっとしておいてあげて欲しいですね。

羽生遊
2020年6月10日16:05

まるこさんへ
こんにちは。
今の社会、若い世代のいじめやネットでの誹謗中傷、そこからの悲しい結末……
パワハラやセクハラに端を発する人格否定の仕打ちの数々もあとを絶ちません。
いつも思うのは、子供の社会は今の僕たち大人の社会を映し出しているんだと。
勿論、酷いことばかりではありませんが、大人の責任は重大だと感じています。

その場から消えたいと思う人に、手を差し伸べること、寄り添うこと、
難しいかもしれませんが、心の叫びに耳を澄ますことがもっとできれば、
多くの人の命や心が救われる社会になるのかもしれません。

まるこさん……お辛い過去を思い出させてしまって本当に申し訳ございません。
命や心の問題は、とても重くて言葉では伝えるのは難しいのですが、
自分なりにここに書き残しておきたかったことがありました。ご容赦下さい。
書いた下さったことを、しっかりと受け止めたいと思います。




羽生遊
2020年6月10日16:14

naochanへ
僕もニュースで見て、最初はびっくりして、
たまたま見たワイドショーでの伝え方に、リモコンのスイッチを切りました。
今のメディアは表だけのごく一部分をセンセーショナルに映し出し、
結果として本質に目を向けさせない報道が多いように感じています。

子を失った親の立場はどうするのでしょうか、本当です。
たまたま見た星田英利さんのツイートに、はっとさせられました。
僕自身もうっかりすると、間違った受け取り方をしてしまっていました。
naochanの言う通りです。当事者の思いに少しでもいいから寄り添えられれば、
悲しい事件の本質にほんの少しでも触れることができるのかもしれません。

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