週刊文春3月26日号――
どうしても捨てられない週刊誌がある。
命の重みをあまりにも軽視した国家権力のあり様――

そこには、国民のために実直に仕事を取り組んできた公務員の赤木俊夫さんが、
権力の横暴ために公文書を改ざんさせられたことの顛末が、
彼自身の遺書と共に記されている。
赤木さんは、残念ながら命を絶つことになってしまった。
いや、国家権力が一切の責任をとらずに寄ってたかってたったひとりの人間に、
その責任を擦り付け、命を奪い取ってしまったと言っても過言ではない。

僕はこの一件を絶対に許すことのできない事実として、心の奥底に刻んでいる。

今、その奥様が大きな権力を相手にその真実を明らかにして欲しいと、
たったひとり、民事訴訟を起こしている。
そして、その権力の中枢にいた人物のひとりが、今の総理大臣だ。
彼はそれはもう結論が出たことと、あまりにも素っ気ない。
命の重みを理解していないような対応に、ただ呆れるばかりだ。

そんな総理大臣の単行本が週刊誌と同じ出版社から、
新書版として改めて刊行された。
新書版は「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然」と、
公文書管理の重要性を訴える記述があった章などが削除されていると言う。

地元の新聞のその本の広告には、こんな言葉が添えられれていた。
「国民の当たり前を私が実現する」――
怒りがこみあげて、捨てられない週刊誌を再読した。

コメント

naochan
2020年10月21日15:43

テレビでしか情報を得ていませんが、
奥さまの無念を晴らす意味の民事裁判、注目しています。
国家権力で、押し潰しておきながら、
彼に罪がある様な国の態度には、本当に腹が立ちます。裁判で全てがつまびらかになり、
彼の苦悩を、奥さまの悔しさを理解して
国の首相にも、しっかり、一人の国民として、
罪を償って欲しいですね。

何でも、強いモノに巻かれるだけの考え方、
いけないと自分にも言い聞かせています。

羽生遊
2020年10月22日16:40

naochanへ
こんにちは。僕はこのことは絶対に忘れないつもりでいます。
なぜなら、時の政権が人の「命」の重みをあまりにも軽んじているからです。
この経緯には、森友学園問題に関わった多くの権力側の人たちがいます。
前首相、財務大臣、現首相、官邸に関わる役人の人たち。
絶対になかったことにしてはならない問題です。

少しオーバーかもしれませんが、
僕たちは言葉を失ってはいけませんし、心を覆い隠してもいけません。
naochanの言葉は僕の心にも強く響きました。

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