洗心亭にて平和を願う
洗心亭にて平和を願う
洗心亭にて平和を願う
5月2日の日曜、群馬の朝――
「今日、どこかに行く予定はあった?」
父がひとり暮らす群馬に前日の深夜に来ていた僕は今回、訪れてみたい場所があった。
「日帰り温泉は行くつもりだけど、他は特に決めてないぞ」
「高崎の達磨寺は行ったことあるかな?」
「知っているけど、ないねぇ……」
「ドイツの建築家のブルーノ・タウトが過ごした家があるから見てみたいんだけど」
「いいぞ、じゃあ、行ってみるか、達磨寺なら場所もわかる」
そんな訳で今回の連休は、高崎にある少林山達磨寺にまずは付き合ってもらうことした。

きっかけは一冊の本だった。
「ノースライト」(横山秀夫氏著・新潮社)。テレビドラマを見てから単行本を読み、好奇心をくすぐられた。
【青瀬はアクセルワークを気にしつつ国道17号線を北上していた。もう高崎市内に入っている。目指す「洗心亭」は、縁起ダルマで知られる少林山達磨寺の境内の一角にある。日本に亡命したタウトが、伴侶エリカとともに二年余り暮らした家だ。】※「ノースライト」より

ドイツの著名な建築家、ブルーノ・タウトはヒトラーの軍国主義化に批判的な発言をし、母国で地位も名誉も失った。彼は昭和初期、日本の建築会から招かれたのを機に日本への亡命を果たす。その時にエリカと2年2ヶ月の間、過ごした家が達磨寺の中にある「洗心亭」だった。タウトは自分の仕事に対して、自他ともに厳しい人だったらしい。それでも地元の人たちに愛され、交流を持ち、日本の文化と人を愛し続けた。滞在の合間、タウトは要請を受け、仙台で工芸品の指導をし、熱海の日向邸の改築工事にも携わっている。
達磨寺の自然溢れる境内にある「洗心亭」は、そんなタウトとエリカにとって、日本での安住の地であったに違いない。建築界では著名なタウトが、どんな家で暮らし、否応なく降りかかった運命とどう向き合おうとしていたのか、「洗心亭」の傍に佇み、何かを感じてみたいと思った。

89歳の父のハンドルで、前橋から高崎の街並みを走る。発展した地方都市は首都圏の趣と似ている。でも、辿り着いた少林山達磨寺は違う。五月の風が心地よく、緑を揺らし、澄んだ青空と榛名や赤城など、群馬の山々の景観が美しい。山の傾斜を利用した境内は「癒し」、「安らぎ」という言葉がぴったりの古刹だった。
寺の最上部にある駐車場に車を止め、境内に足を踏み入れる。本堂脇の石段を下り、山門に続く階段を見下ろす。人工の音は全くない。鳥たちのさえずり、風と木々が織り成す音だけ。ここにいれば、それだけで心地良い。
目的の洗心亭への案内板があり、父と2人で向かう。細い階段を少しばかり上り、小さくも凛とした佇まいの「洗心亭」が見えた。裏から縁側のある方へと移動し、玄関へとゆっくり歩く。あっと言う間の洗心亭外周だった。渋い彩りを放つ木造家屋。外から見える二間だけの部屋。季節の移ろいを感じながら、タウトとエリカは間違いなくここで過ごした。

「いいうちだなぁ。ここでずっと過ごしたい気持ちになるよ」と父が思わず語った言葉にも説得力を感じてしまう。
ヒトラーを否定し続け、二度と母国には帰らなかったブルーノ・タウト。彼は戦争を断じて拒み、建築家、工芸家としての矜持を持ち続け、日本を愛するがゆえに、日本を語る多くの著書も残した。僕はタウトの足下や平和を愛し、治療家としての道を窮め続けた父の足下にも、到底及びもしない人生をずっと送っている。小さき庶民の自分には何ができ、何かを残せるのだろうか――。

玄関から数段の階段を上ると、タウトの言葉がドイツ語で刻まれた石碑があった。
「我、日本文化を愛す」――
果たして、今の日本はタウトに誇れる国なのだろうか。後ろ髪を引かれる思いで、僕は洗心亭をあとにした。「安中の砦の湯にでも行くか」父の声に思わず頬が緩む。父親はすでに次の目的地へと眼差しを向けていた。

※参考図書・「ノースライト」(横山秀夫著・新潮社)

コメント

まるこ
2021年5月7日10:05

お帰りなさいませ。

少林山行かれたのですね!!
それは良かった。
お恥ずかしい話、私は何度も行ったことがありますが、この「洗心亭」の存在と由来を存じ上げませんでした。そんなことがあったんですね。貴重な建物なんですね。
群馬って意外とドイツ人と縁がありますよね、草津や伊香保温泉の温泉もベルツ博士が大いに関係していますし。スキーなどを持ち込んだものドイツの方だったような…
お父様と良い休暇になりましたね。

それよりなにより。
羽生さんのお書きになるエッセイは作家さんの文章ですよ。
博学な上に文才もお持ちなんて。
天は二物も三物もお与えになるものですね。
感服しております。

naochan
2021年5月7日14:27

「洗心亭」心が洗われるお屋敷ですね。
羽生遊さんに連れて行っていただいた感じで、拝見しました。
人工のものが何もない、聞こえるのは鳥の声と風に揺れる木々の音のみ。
なんてすてきな空間なんでしょう。
お父様とゆっくりとした時間をお過ごしになり、よい思い出になりましたね。
父は64歳で亡くなりました。
まだ、現役でした。だから父とは、羽生遊さんのように静かな時間を過ごした
記憶がありません。今、生きていたらと・・・・ふと思いました。
私も静かな時間、勝手に共有させていただきました。ありがとうございました。

naochan
2021年5月7日16:34

今、思い出しました。私も「ノースライト」見ました。椅子がキーになっていましたよね。何処かで聞いたなぁ、と思いつつでした。

羽生遊
2021年5月8日10:02

まるこさんへ
おはようございます。往復の渋滞もなく、帰ってこれました。
高崎はまるこさんの故郷ですから、達磨寺は訪れているだろうと思ってました。
僕もこの本を読むまではタウトも洗心亭も、全く知りませんでした。
達磨寺のメインはダルマですものね(笑)
群馬の温泉が発展しているのも、ドイツ人のベルツさんの功績なんですね。

僕は元々の知識はほとんどなくて(笑)、その都度、興味をもったことを、
付け焼刃的に調べているだけなんですよ。
文章は昔、ある恩人の方からか書くことが好きならば、
ずっと書き続けなさいと言われたことはあります。ただ、好きなだけなんです。
でも、まるこさんの言葉も励みに書き続けます。

それとそうと、今度はまるこさん、高崎に行ってらっしゃいませ!

羽生遊
2021年5月8日10:12

naochanへ
おはようございます。
実は僕はもっと、ゆっくりと過ごしたかったのですが、
温泉へと急ぐ父にやや消化不良だったのが、本当のところ(笑)
まぁ、それも仕方なしです。
洗心亭には興味を示した父も、ダルマさんにはあまり興味なしでした。

naochanはお父様とどんな関わりを持たれていたのでしょうか。
僕も娘がいて、息子たちとはまた違った愛おしさを感じています。
きっと、お父様もnaochanの幸せを願い続けていると思います。

そうです!「タウトの椅子」がキーになっていたドラマです。
お寺で頂いた資料に、復刻版が完成したとの記事が出ていました。
価格はタウト資料館の資金込みでしたが、さすがの値段がついていました。

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