【ある日、彼は突然、思いついてしまう。オリンピックに出よう、と。その思いつきに彼は酔った。「もし、それが実現すれば」と、彼は思った。「なんとなく沈んだ気分が変わるんじゃないか。ダメになっていく自分を救えるんじゃないか」】
※「スローカーブを、もう一球」山際淳司氏著・角川文庫 「たったひとりのオリンピック」より引用

ふとした壮大な思いつきによって、自堕落な学生生活を脱しようとした津田真男さんは、ボート選手としてオリンピックを真剣に目指す。全くの素人、消去法で選んだ種目がたまたまボートだった。孤高のボート選手として、オリンピック出場を目指していた彼は、モントリオールオリンピックでの出場権を逃したものの、モスクワオリンピックで代表の座を掴む。しかし、日本選手団はオリンピックに参加しなかった。選手とは全く関係のない政治的な理由で――。

TOKYO2020――。ずっと何かを書こうかと思いつつ、溢れ出る負の要素の多さに触れることが、どうしてもできないままでいた。元々現在のオリンピックのあり方には賛成できないところが多い。商業主義、権威主義、勝利至上主義……平和への祈り、参加することに意義があるはずのオリンピックは、いつしか巨大な富が蠢くビッグイベントになっていた。新型コロナウイルスは奇しくも、そんなオリンピックの化けの皮を剥いだ。
だからと言って、僕はオリンピックに反対と言うわけではない。本来、スポーツは身体や心が解放され、それぞれの欲求に応じて、楽しみや自己実現を果たすことができる行為のはずだ。だからこそ、参加するアスリートたちも応援する人たちも、もちろん主催者たちも、ここを契機に立ち止まってオリンピックのあり方を、見直す時期が来ているのだと思う。そして、とうとう、開幕の日を迎えた。東京が緊急事態宣言下の真っ只中、ほとんどの競技が無観客で行われることとなった――。

そんな時、「たったひとりのオリンピック」で描かれた津田真男さんを思い出し、同時に忘れることができない、あるパラアスリートの若者のことを心に書き留めておこうと思った。彼は、東京パラリンピックを真剣に目指していた。

【つづく】

コメント

naochan
2021年7月30日10:51

おはようございます。
オリンピック、パラリンピックについては、羽生遊さんに強く同意します。

昔も翻弄された選手の方々が居られたと思います。しかし、目指して行けるところでは、なかなかないのに、ありきたりですが、凄い、としか言葉がでません。
また、続きを楽しみにしています。

羽生遊
2021年7月30日15:23

naochanへ
こんにちは。
オリパラの開催の賛否はそれぞれにあり、
ワクチン接種の可否同様、決して対立するものではないと思っています。
ただ、そのあり方は歪められた現実が突き付けられました。
選手にも、応援する人たちにももちろん責任はありませんが、
これからどのような大会が良いのかは、見直す必要はあります。

ここでは、「そこ」を目指して努力し続けたある若者の足跡を、
ほんのわずかですが、書き残しておきたいと思っています。

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