ロングジャンプのずっと向こうに・4
2021年8月15日 ロングジャンプのずっと向こうに コメント (2)2020年3月29日、日曜。春はもうすぐそこまで来ているというのに、どんよりと曇った空からは、ちらちらと季節はずれの雪が降り始めていた。その日、平井がS君を愛車に乗せて、うちへと連れて来た。シーズンに備えてのケア、スケジュールの合間を縫って、平井がS君の送迎を買って出てくれていた。
その数日前、新型コロナウイルスの世界的な流行によって、東京2020が翌年夏への1年程度の延期が決定していた。S君は2月末から3月上旬のアメリカ合宿を終えた後、大学でのスケート実習をこなし、疲労困憊の体をうちに整えに来た。
その時のS君は延期になった東京パラリンピックを、まだ視界に捉えていたと思う。1年延期になってしまった東京パラ、その時、S君は大学を卒業し、社会人となっている。平井が丁寧に足をケアした後、僕がS君の溜まった疲労を解した。気が付くと昼食の時間になっていた。
「ラーメンでも食べにいくか」
大のラーメン好きの平井の提案で、車で5分ほどのラーメン屋に繰り出した。もちろんノンアルコール、3人でカウンターに肩を並べて食べた。雪は少しずつ強くなってきたが、心は温かかった。会話の流れで前年の年の瀬に平井と2人、新宿で飲んだ話になった。サポートチームのたった2人の忘年会、2軒目は平井の顔見知りの店、新宿ゴールデン街にある小さなバーへと行った。
「来年、パラリンピックが終わったら、3人でそこに飲みに行こう」
ふと、思いついて今度は僕が提案した。「いいねぇ」と平井も笑う。S君が笑顔で「はい」と頷く。その時、S君の目標が、平井と僕の目標にもなっていた。
東京2020は1年延期になったわけだが、世間はそれだけでは収まらなかった。緊急事態宣言に伴う自粛要請の数々。日体大もその例外ではなかった。リモート授業への移行、グラウンドなどの施設の使用禁止。学生たちは学業でも部活動でも、不自由な日々を過ごすこととなる。
S君も例外ではなかった。大会も中止や延期があいつぎ、自粛期間に伴い実家の静岡へ帰省、ホームグラウンドでの練習環境を完全に失った。モチベーションやパフォーマンスの低下、新型コロナへの感染対策にも気を遣う状況で、S君はもがき苦しむ状態が続いていたと思う。
そんな状況でも環境に恵まれた選手や飽くなき闘争心で壁を乗り越え続けた選手たちもいる。そのことは、もちろん称賛に値するだろう。でも、大きな目標に向かっている中、全く出口の見えない状況にどうしても心や体が奮い立たない選手たちの気持ちも理解できる。
その年の7月、僕は帰省中のS君のことが気になり、沼津で接骨院を開業し、アスリートたちをメインにケアしている後輩の治療家を紹介した。早速、S君から「一度、行ってみたいので連絡をとっていただきたいです」との返事があり、モチベーションが維持できているとほっとした。ただ、後輩の治療家からは、S君が思うように練習ができていないとの連絡があった。
平井も僕もこの間、日体に入校することが制限され、選手のサポートはできる範囲で、うちで対応するようになっていた。しかし、S君のように帰省した選手たちはどうすることもできない。日々の仕事をこなしながら、サポートできるのは首都圏にいる選手に限られていたが、帰省した選手たちの様子は平井が頻繁に連絡してくれていた。年末、思い立って僕もS君にメールをしてみると、すぐに返信があった。
「お久しぶりです! コロナウイルス、まだまだ収まりそうにありませんね。今ですが引退を考えていてあまり練習をやっていません」
僕はS君の監督でもなければコーチでもない。ただ、自分の人生に悔いの残らない選択をして欲しいと思い、その旨をメッセージに託した。その後、大学の対面授業が一部再開し、部活動が再開されるに伴い、平井からS君は実家から大学の寮に戻ってきたとの連絡があった。その頃のS君はきっと心と体に鞭を打って、走り、跳んでいたと思う。
僕とはスケジュールが合わず、会うことはできなかったが、何度か大会にもチャレンジしていることは知っていた。ただ、以前のような7m越えを目指せるジャンプはできないままだった――。
2021年7月23日。東京オリンピックが、無観客の新国立競技場で開会式を迎えた。中止だ、延期だと騒いでいた大手メディアは手のひらを反すように、日本人選手の活躍をこぞって伝えていた。そんな時、約半年ぶりに社会人になったS君からメッセージが届いた。
「僕は日々、カーディーラーとして頑張っています。僕も大学4年間、陸上をやって色々な方と関わった経験が今の仕事に活きていると思います。体のケアでお世話になったことは忘れません」
S君はロングジャンプのずっと向こうにある、もっと、もっと大切なものに辿り着けたのだと思う――。
【おわり】
その数日前、新型コロナウイルスの世界的な流行によって、東京2020が翌年夏への1年程度の延期が決定していた。S君は2月末から3月上旬のアメリカ合宿を終えた後、大学でのスケート実習をこなし、疲労困憊の体をうちに整えに来た。
その時のS君は延期になった東京パラリンピックを、まだ視界に捉えていたと思う。1年延期になってしまった東京パラ、その時、S君は大学を卒業し、社会人となっている。平井が丁寧に足をケアした後、僕がS君の溜まった疲労を解した。気が付くと昼食の時間になっていた。
「ラーメンでも食べにいくか」
大のラーメン好きの平井の提案で、車で5分ほどのラーメン屋に繰り出した。もちろんノンアルコール、3人でカウンターに肩を並べて食べた。雪は少しずつ強くなってきたが、心は温かかった。会話の流れで前年の年の瀬に平井と2人、新宿で飲んだ話になった。サポートチームのたった2人の忘年会、2軒目は平井の顔見知りの店、新宿ゴールデン街にある小さなバーへと行った。
「来年、パラリンピックが終わったら、3人でそこに飲みに行こう」
ふと、思いついて今度は僕が提案した。「いいねぇ」と平井も笑う。S君が笑顔で「はい」と頷く。その時、S君の目標が、平井と僕の目標にもなっていた。
東京2020は1年延期になったわけだが、世間はそれだけでは収まらなかった。緊急事態宣言に伴う自粛要請の数々。日体大もその例外ではなかった。リモート授業への移行、グラウンドなどの施設の使用禁止。学生たちは学業でも部活動でも、不自由な日々を過ごすこととなる。
S君も例外ではなかった。大会も中止や延期があいつぎ、自粛期間に伴い実家の静岡へ帰省、ホームグラウンドでの練習環境を完全に失った。モチベーションやパフォーマンスの低下、新型コロナへの感染対策にも気を遣う状況で、S君はもがき苦しむ状態が続いていたと思う。
そんな状況でも環境に恵まれた選手や飽くなき闘争心で壁を乗り越え続けた選手たちもいる。そのことは、もちろん称賛に値するだろう。でも、大きな目標に向かっている中、全く出口の見えない状況にどうしても心や体が奮い立たない選手たちの気持ちも理解できる。
その年の7月、僕は帰省中のS君のことが気になり、沼津で接骨院を開業し、アスリートたちをメインにケアしている後輩の治療家を紹介した。早速、S君から「一度、行ってみたいので連絡をとっていただきたいです」との返事があり、モチベーションが維持できているとほっとした。ただ、後輩の治療家からは、S君が思うように練習ができていないとの連絡があった。
平井も僕もこの間、日体に入校することが制限され、選手のサポートはできる範囲で、うちで対応するようになっていた。しかし、S君のように帰省した選手たちはどうすることもできない。日々の仕事をこなしながら、サポートできるのは首都圏にいる選手に限られていたが、帰省した選手たちの様子は平井が頻繁に連絡してくれていた。年末、思い立って僕もS君にメールをしてみると、すぐに返信があった。
「お久しぶりです! コロナウイルス、まだまだ収まりそうにありませんね。今ですが引退を考えていてあまり練習をやっていません」
僕はS君の監督でもなければコーチでもない。ただ、自分の人生に悔いの残らない選択をして欲しいと思い、その旨をメッセージに託した。その後、大学の対面授業が一部再開し、部活動が再開されるに伴い、平井からS君は実家から大学の寮に戻ってきたとの連絡があった。その頃のS君はきっと心と体に鞭を打って、走り、跳んでいたと思う。
僕とはスケジュールが合わず、会うことはできなかったが、何度か大会にもチャレンジしていることは知っていた。ただ、以前のような7m越えを目指せるジャンプはできないままだった――。
2021年7月23日。東京オリンピックが、無観客の新国立競技場で開会式を迎えた。中止だ、延期だと騒いでいた大手メディアは手のひらを反すように、日本人選手の活躍をこぞって伝えていた。そんな時、約半年ぶりに社会人になったS君からメッセージが届いた。
「僕は日々、カーディーラーとして頑張っています。僕も大学4年間、陸上をやって色々な方と関わった経験が今の仕事に活きていると思います。体のケアでお世話になったことは忘れません」
S君はロングジャンプのずっと向こうにある、もっと、もっと大切なものに辿り着けたのだと思う――。
【おわり】
コメント
一気に読ませて頂きました。
いつもながらに、決しておしつけではなくて、読み手の感情に任せる
羽生遊さんの文章。
S君にとって、このコロナがどんな影響を与えたか、良くわかりました。
あのまま延期無く東京オリンピックが開催されていたら、「たら・れば」を
言っても仕方有りませんが、、、、
彼は、きっと、一生懸命に自分の人生と向き合って、そして、出した結果なんでしょうね。
ロングジャンプのずっと向こうにある彼の未来、私も応援したいです。
涙がじんわりと流れました。ありがとうございました。
おはようございます。
長い文章を読んで下さり、温かい言葉を頂き、僕もまた思いが深まりました。
S君から近況の連絡があり、ラストは少し変わりました。
1年前にパラリンピックがあったら、この物語も違う結末だったかも知れません。
ただ、僕はずっと前から思っています。
スポーツには確かに勝ち負けは付きものですが、
もっと大切ことは、その結果に辿り着く過程にあると思っています。
この物語の隠れた主役の友人の平井武は今も尚、
誠心誠意、母校の陸上部の選手たちに寄り添い続けています。
輝く選手、目標に辿り着けなかった選手、次のステージに向かう選手、
その選手たちを支える、親御さんや指導者たち、そしてサポートスタッフ。
メダルの色や結果だけで、スポーツを見てしまうと、
スポーツの本来の景色が見えないようにも思います。
だからこそ、僕はS君にありがとう、と心から言いたかったし、
支えてきた平井にも、お疲れ様と伝えたかった。
そんな思いを文章として残しておきたいと思って、ただただ綴りました。
naochanの彼へのエール、心に染み入っています。
ありがとうございました!