のんびりの日曜

2013年12月2日 日常
先週、開幕から追いかけていた江ノ島フリッパーズのリーグ戦が終った。
選手たちにとっては忘れることのできないシーズンだったと思う。

詳細はまた改めてこの場に書き残すとして、
自分も久し振りに心から応援できるチームに出会った思いだった。

この間、慌しく時を過ごしていた。
長男の再就職があったり、仕事上でのあれこれがあったりと。

日曜日は久し振りに何も予定のない休日になった。
カミサンと長男を伴い、地元でランチをし、地元界隈をぶらついた。

目的もなく、足の向くまま、気の向くまま。

今週末はのりまきのライブが控えている。
年の瀬がじわりじわりと近づいてきた。

ありがとうの日々

2013年11月25日 日常
助けられてるなと思う。

家族に、友達に、関わりのある人たちに。

恩返しとか、ギブ&テイクとかじゃなくて、
そんな周り人たちに、僕も何かができればと思う。

人って、なんだかんだ言っても温かい。
満月の下の花
今年も咲いてくれた。

今年は月が綺麗な夜だった。
「明日、投票してから仕事に行くから」

選挙の前夜、長男を新横浜に迎えに行った。
住所変更をしていないため、選挙はこっちだった。

家に着き、軽く一杯やりながら、
選挙公報を広げ、一票の行く先について話す。

「お前はどうする?」
「戦争は嫌だな」
「そうだよな」

長男の考えはずっと一貫している。

「憲法も大切にしたいよな」
「あぁ」

僕もそうだったが、うちは政治の話は、
オープンにする方だと思う。
話すことで世の中に興味を持ち続けて欲しいと思っている。

話題は選挙から、長男の仕事の話になり、
いつの間にかサッカーの日本代表の話になった。
火照った体で混み合う湯畑周辺を巡り、
わずかな滞在となった草津を後にする。

帰路の車中、今まで聞くことのなかった父の話を聞く。
昔のこと、仕事のこと……
父は父で、僕は僕で色々とあった。

家に着くと「少し寝るよ」と言って父は床に入り、
僕もつられるように横になり、いつのまにか寝ていた。

1時間ばかりで目が覚めると、父はまだ寝息を立てている。

温泉に浸かり、喋り寝る。
こんな連休もたまにはいいだろう。
そして、夕食を共にし、茶を呑み、ゆっくりと夜が更けた。

翌朝――
起きると父はどっさりと菜っ葉をとっていた。

「茹でとくか」
「いや、そのまま持ってくよ」
「夏は山登りだな」

父は群馬で過ごすことを自分で決めた。
僕はその群馬から横浜に帰る。

【終わり】

仕事帰り、娘と

2013年4月12日 日常
毎週の夜の仕事――

娘のクライミングの練習帰りと重なり、
田園都市線の市が尾駅で待ち合わせをする。

車から大きなリックを背負う小さな娘が見えた。

小学校3年で始めたクライミングも、
かれこれ8年になる。

「疲れたー」

車に乗り込んでの開口一番、
好きなことで疲れ果てるのは
若者の特権のひとつだろう。

道すがらファーストフード店が見えた。

「お腹、空いてるか?」

間髪をいれずに頷く娘。

「家に帰ってご飯も食べるから、ほどほどにする」

真っ直ぐな道、
数える程の車、
アップルパイを頬張る娘。

帰って一杯飲みたい気分になっていた。
都心にて
久しぶりに映画を見に有楽町に行った。
関東ではそこでしか見られない映画――

鑑賞後、静かに心が揺れた。

「ここで食べていくか」

近くの食堂で妻と遅い昼食をとる。
ああだこうだと映画について語り合い、
浜松町まで散策していくことにする。

日曜の都心は大人しい。

広い歩道をのんびりと歩いていると、
東京タワーが見えた。

満開の桜が増上寺に映える。
忙しい都心にも、くつろぎの時はあるものだ。
甥っ子のショウが久しぶりにうちに来た。

大学4年のショウは就職を間近に控え、
来月には勤務先の兵庫へと旅立つ。

野球が大好きで子供の頃は白球を追い続け、
大学ではバンドに目覚め、ギターを奏でていた。

就職に際してはそれなりにもがき、
最終的に選んだ仕事は高齢者福祉に関わることだった。

「不安じゃないか?」
「なんか、まだ実感がないんだよね」

ショウは誰に似たのか、楽天的なところがあり、
幼い頃から人懐っこかった。
それが自ら選んだ仕事でもきっと活かされることと僕は思う。

帰りの車の中――

幼かったショウの横顔を思い出す。

変わっていないなと思う。
ずっと変わってくれるなと思う。

頑張れ、ショウ。

心を込めて一票を

2012年12月15日 日常
「戦争は嫌だよね……」

リョウがポツリと言った。

「小選挙区と比例区と違っていてもいいのかな」

カミサンの意見に「おう、そうか」とも思った。

初めての選挙のために長男が帰省してきた。
昨晩、選挙公報をめくりながらそれぞれの一票について話した。

メディアで流される偏った情報だけでなく、
身近な人たちと改めて話し合うと、
お互いの本当の思いがあぶりだされてくるようだ。

僕の重くて大切な、たったの一票は、

命を重みを大切にできる人――
便利さや裕福さよりも、
誰もが笑い合える世の中を思い描いているだろう人に、

心を込めて投じたいと思う。
卒業後初めて、母校の大学に行ってみた。
かれこれ27年ぶりになる。

スポーツができる学生はたくさんいるが、
勉強のできる学校ではない。
名前を言えば、ああと大半の人はわかると思う。

学校はすっかり綺麗になって、
近代的な建物に変わっていた。

グラウンドも人工芝になり、
ソフトボール部の学生達が汗を流していた。
みんながみんな、輝いて見えた。

当時の自分はと言うと、
目標を見失い、もがいていることが多かった。

そんな時でも救ってくれる友達はいた。

学校の先生になっている者もいれば、
自分の志を貫いている者もいる。

ついこの間電話のかかって来たHは、
やっと辿り着いた自分の仕事に精を出している。

その日はカミサンも連れて行った。
見せたからってなんてことはないけど、
なんとなく、母校を知っておいて欲しい気分だった。
特に何か忙しかったわけではないけれど、
公私に動き回る諸々があって、
少し余裕のない日々を過ごしていた。

外は雨降り、久し振りに静かな時間ができた。

今日の夜はゆっくりとビールでも飲もうと思う。
今年も咲いてくれた
先週のこと――

小さかった蕾が急に大きくなり、
今年も月下美人が咲いてくれた。

もう20年以上の円熟の幹、
枝葉の見てくれはとても美しいとはいえない。

それでも独特の香りと共に、
花びらが大きく広がった。

でも、それはたった一晩のこと。

翌朝は萎んだ花びらが頭を垂れ、
翌年のための1年がまた始まった。

僕はその萎んだ花にそっと触れた。
人だかりが見える。
手前には黒塗りの車数台、テレビカメラ、野次馬達……

東京駅近くの大通り、
その向こうには福島県のアンテナショップがあった。

政治家ね、と通行人の声。

SPに守られながら、
店からグレーの背広の宰相が見えた。

メディアに叩かれ続ける宰相。

きっと優しい人だな――

これが僕の彼への第一印象だった。
その眼差しはあまりにも庶民的だ。

「誰?」

隣の妻が聞いてきた。

「Kさんだよ」

KさんにはSPも黒塗りの車も不釣合いに思えた。

一票の重み

2011年4月12日 日常
日曜、歩いて1分の母校に選挙に行った。
少し遅れて咲いた桜は去年よりも色が薄いようだ。

穏やかな日だが、
心の片隅に引っかかるものは確実にある。

こんな時だからこそ、
自粛ではなく、
しっかり一票を投じたい。

報道に動かされずに、
世論調査は気にせずに、
自分で考え、妻とあれこれ話して、
市会、県会、知事と3票を投じた。

結果として、僕の票が活きたのは市会だけ。
でも、悔いはない。
学校から帰ってくると野球をした公園、
今はマンションになってしまった銭湯のあった場所、
思ったいたより狭い路地、

住んでいたアパートはもう跡形もない。

中学2年まで生まれ育った町が、
車で10分ほどの場所にある。

たまたま、本当に偶然、
週2回、仕事で故郷に行くことになった。

耳を澄ます、目を凝らす、

幼い頃の自分がすぐ傍にいるような気がした。

中華街を歩く

2011年4月3日 日常
あてもなく妻と駅まで歩き、
思い立って中華街まで行ってみることにした。

震災の影響で中華街も閑散としているらしいことは聞いていた。
石川町で降り、静かな元町商店街を抜け中華街に着いた。

「人、いるじゃん」

通常の日曜と変わりないぐらいに人はいた。
ただ違うことは所々で募金活動をしていること。

そんな中、ふと見るとベイスターズの選手もやっていた。
妻が名も知らぬ長身の選手に募金をする。

控えめな笑顔と握手、勿論サインはない。

みんなそれぞれにできることで頑張っている。

人生ゲーム

2011年3月17日 日常
娘の提案で家族で人生ゲームをした。
久しぶりに笑顔がこぼれた。

次の日、食卓でケンと卓球の勝負をした。
お互い負けん気でラリーをつなげた。
僕のつまらないミスに息子は笑い転げた。

今、できることはなんだろう――

何か役に立てることはあるのだろうか――

格好つけることはない。
僕らにもきっとできることはある。

みんな頑張りましょう。

熱海の街で

2011年3月13日 日常
日曜の熱海は閑散としていた。

熱海だけではない。
横浜も、小田原も、熱海に向う東海道線の車中も……

母校の卒業式に出席した。
学校側も熟慮の末の挙行だったらしい。

いつもなら熱海のマラソン大会と重なり、
賑わうはずのこの日、
今年はあまりにも静かだった。

あの地震以来、自分には何ができるのか自問していた。

その答えは未だに出ていないが、
母校の後輩たちへはいつも通りの祝辞を捧げた。
マイカー
8年目の自家用車が、
昨日きりのいい66666kmを走破した。

ボディには傷もあり、
ハッチにはへこみも作ってしまったが、
乗り換えるつもりはない。

「写真撮っておいて」
一緒に乗っていた妻にメーターを撮って貰った。

この距離の分だけ、
思い出も増えたのかもしれない。
それなりに忙しい師走の合間、
友と飲み語らう時間を持ち、
久しぶりに息子のサッカーの試合を見に行く。

大切な時間は作るもの、
勝手にできるわけではないのだろう。

もう、明日は仕事納め――

自分を見つめ、心を込めて、
一人ひとりと、一人ひとりと。


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