手洗い、消毒、外出制限、いわゆる三密の回避、うがい……
ウイルスを避け、排除し、近づかないようにすることは凄く大事です。

ただ、流行性の病魔に対して、自然治癒力、免疫力、抵抗力を上げるための
積極的な予防法も、非常に大切だと思います。
ウイルスを弾き返す力、仮にウイルスに感染しても、
症状を軽減させる力を獲得するためには何が必要なのか。

いわゆる、バランスの良い食事、十分な休養、適切な運動などは、
なくてはならない大前提になってくると思います。

それに加えて、日本人の多くが日々励行している入浴は、
自律神経を安定させ、ストレスを解消し、心身の緊張を解し、
免疫力の向上には間違いなくプラス要素となります。

そして、もうひとつ――
テレビやネットから日々溢れ出る病魔に対しての真偽数々の情報の渦。
情報に晒され過ぎて気分が落ち込み、ストレスをため込んでしまうのは、
大きマイナス要素となり得るでしょう。

それなら何ができるのか、何をすれば良いのか。
それぞれのライフスタイルによって、決して形はひとつではありません。
自分自身の生き方を見直す試練の機会なのかもしれません。
きっと登れる日が来る
秦野市、丹沢山系を見渡せる秦野戸川公園。その中にある山岳スポーツセンターにはリニューアルされた真新しいクライミングウォールが聳え立っていた。本来なら、国体の代表選手を決める伝統ある「オール神奈川」が開かれる時期だ。残念ながら人気のない静かな日曜は、この壁の前に誰もいない。

横浜から秦野まで、車を飛ばし、どうしてもその壁が見たくなった。誰も登っていない壁を見て何になるのかとも思ったが、クライミングに励んだ娘が何度も弾き返された場所を、今、この目で見たい気持ちになった。

曇りかがった空、横浜に比べて涼しい空気、まだ残っている桜。鳥たちはいつもと変わらずに可愛らしく鳴き合っている。
ガンバ、ガンバの声援、拍手の渦、落胆に泣く女子たち。ここで何度そんな光景を見ただろう。この春、ここを目指し、ここで自分の限界に挑もうとした選手たちを思うと、仕方ないだけでは済まされない思いが、部外者の僕にもくすぶる。

きっと登れる日は来る。登れる日は必ず来る。
オーバーな言い方かもしれませんが、
今、この社会は、人間は、
何かに試されているのかなと思います。

これから、どんな社会であるべきか、
穏やかに、平和に暮らせる社会って……
ぼんやり、ふんわり、考えています。

いつものように過ごすことが、難しくなった今ですが、
降って湧いて来たような時間を大切に、
できること、やれること、いつかやりたいこと。
確実にある日常と寄り添いつつも、
そんなことに思いを巡らせています。

今がチャンスとはとても言えませんが、
色々なことを見つめ直す機会にはなっているかもしれません。
ゆっくり、のんびり東海道
ゆっくり、のんびり東海道
晴天、強い風、心地良い春の空気。
やっぱり外は良い。

日曜、今年3回目の東海道を歩きました。
1月に神奈川宿から横浜の浅間下まで、
2月に浅間下から保土ヶ谷宿までと、ほんの少しずつ歩みを進めていました。

この日は保土ヶ谷宿のある駅前からスタート。
昔の趣が残る旧道を、ゆっくりとのんびりと歩きました。

途中の権太坂はゆるい上りながらも、なかなかの長丁場。
隣の国道1号の権太坂は駅伝でお馴染みの場所。
過去と現在に思いを馳せながら、その風情を楽しみました。

そうこうしているうちにに、整備が行き届く東戸塚駅周辺に到達。
「今日はここまでにしよう」と、次回の開始地点に足跡を残しました。

一昨年の正月から始めた東海道散策。
終わりはいつになるやらですが、
一生をかけての趣味にもなっているようです。
実直で、優しくて、公務員の鑑と言えるような人が、
国の犠牲となり、命を絶っていました。
病気で亡くなった、事故でなくなったではありません。

誰かを庇うために、誰かに指示をされ、
間違っていることと知りながら、
罪に苛まれ、自らの命を絶ってしまったのです。

国から命を奪われた——

政治って、誰のためのものなんでしょう。

僕は今の総理大臣をずっと認めていません。
貴方のせいで、命を失ってしまった人がいます。
酷すぎる、あまりにも酷すぎる現実です。

僕は絶対に許しません。
人の心を持つ人ならば、許してはいけないことです。
群馬の桜
土曜の仕事を終えて、娘と2人、群馬の父の家へ行きました。

横浜は雪も降る真冬のような週末——
父の住む前橋は雪はなかったのことでしたが、
日曜の朝の赤城山はうっすらと雪化粧でした。

父の家の庭には、桜の樹が一本あります。
遥か昔、横浜の公園から持って行き、
小さなサクランボの種から成長した樹。

今となっては、すっかり老木となったものの、
毎年、花が咲き、小さな実がたくさん生ります。

「開花していないかな……」

娘の願望は、さすがに叶いませんでしたが、
桜の蕾は少し膨らんでいました。
どんな時でも、季節は移ろい、花は咲くものです。
これから、どんな社会であるべきなのか、
不安や恐れが和らぎ、争うこともなく、
できる限り、穏やかな暮らしを営むには、

本当は何が必要なのか——

たった一人の自分に何ができるのか、
小さな声は届くことがないのか、

いや、そんなことはない、たったひとりじゃない、
いつも自分に言い聞かせています。
新型コロナウイルスに対する対応、僕は完全に間違っていると思います。
賛否両論、それぞれに考えがあり、それぞれの思いもあると思います。
気分を害された方がいましたら、ご容赦下さい。

根拠やデータのないままの休校要請。
子供たちが本当はどこにいることが安心なのか、
感染者が出ていない地域の子供たちは外出しないことが、健康を害さないのか、
その根拠はあまりにも曖昧です。

仕事のできない人たちの生活の保障は、
仕事を休めない親たちの子供たちの行く先は、
どこは大丈夫で、なぜそこは駄目で、そこは良いのか、
ケアが不十分になってしまう高齢者たちの健康は、
行ってはいけないと言われた職種の人たちの生活の保障は——

不安を煽る前に、しなければならないことはたくさんあったはずです。

政府の人たちやテレビで好き勝手に語っているコメンテーターたちに、
生活の心配は全くいらないのでしょう。
でも、今の社会、そうじゃない人はたくさんいます。

命はもちろん、大切です。当たり前です。
でも、命を維持するために日常も大切です。

なんで、トイレットペーパーがなくなってしまうのか、
なんで、食料を買い占めてしまうのか、
安心しろ、大丈夫だよということが先なこともあるばすなのに、
政治に関わる人たちはあまりにも、庶民の生活に鈍感です。

見当外れと言われてもいい。
間違っていることは、やぱり間違っていると思うのです。
ミュージシャンやタレント、プロスポーツ選手……
ひとそれぞれファンはいると思います。

でも、政治家のファンにだけはなってはいけない。
ファンはその人にどこまでも温かく、
どんなに悪いことをしても、許そうとしてしまいます。
ただ、芸能人なら、それもある程度は良しかもしれません。

でも、政治家のそれは絶対にダメです。
政治家の悪事を許してしまうことは、人として絶対にダメです。
私利私欲に走り、己の身内しか見ない人たちに、
この国の行く末を任すわけにはいかないんです。

だから、政治家を応援するだけのファンにはなってはいけないと思うんです。
自分の病と共に暮らしている人はたくさんいると思います。
抑えることで精一杯の病や、緩徐にしか改善していかない病など、
今の世の中には様々な心身の病が存在しています。

それと同時に、誰もがそんな病を封じ込め、あるいは改善させ、
壊れかけた体を元気にさせる力を持っています。
その力の強い人、やや弱い人、他人の力が必要な人、様々です。

ただ、誰もが必ず持っている自然治癒力を少しでも高めるためには、
しっかりと食べ、しっかりと休み、適度に体を動かすことは大切です。

動きたくても動けない人、食べたくても食べられない人、
眠れない人、蓄積した疲労を超えて頑張ってしまう人……
様々な立場の人がいることも確かです。

それでも、自分の持つ自然治癒力を高められるかどうか、
体を壊しそうな時、心の耳を澄ますことができるかどうか、
まだまだやれることがあるような気がしています。
ある場所で仕事を終え、誰もいない空間で1人になりました。

ひとりだな——

淋しいような、むなしいような、
それでいて、できる限りのことはやった充実感があるような、
少し遠くで躍動する若者たちが羨ましいような……

自分は少しばかり遠いところに来てしまったと、
ひとりぼっちを感じていました。

でも、誰からも束縛されない場所で、
ひとりぼっちでいることも、
そう悪くないことだと思いました。
少し長い文章になりますが、小説の登場人物の言葉を全文引用させて頂きます。

「ひとつの国が危険な方向に舵を切る時、その兆しが最も端的に表れるのが報道です。報道が口を噤み(つぐみ)始めた時はもう危ないのです。次第に市井の人々の間にも、考えたこと、感じたことを口にできない重苦しい空気が広がり始める。非国民、国賊などという言葉が普通に暮らす人々の幅を利かせ始めるのは、そういう時です。
 恐怖は、巨大な権力に抗するために連帯を断ち切ります。そしてどんな時代の報道の中にも進んで権力にすり寄る者たちがいる。自らの下劣さを処世術や政治力と思い違いをした人々です。批判の声は、権力の名を借りた暴力によって次々とねじ伏せられていく」・『天上の葦・太田愛著・角川文庫より引用』

これはあくまでも小説の中の言葉です。
でも、ご興味のある方は読んで頂きたい作品です。
人それぞれに、生き方や主義主張、物事に対しての思いはあると思います。
それでも、次世代に生きる人たちのために、
今を生きる僕たちに何ができるのか、何を残してあげられるのか、
読みながら真剣に考えてしまう作品です。

この本の中にも綴られていますが、
第二次世界大戦の最中、大本営発表という形で、
意図的に歪められ、間違った報道がし続けられました。
なぜなのか——

そのために310万人もの日本人、他国の多くの人々が言葉によって、
命を奪われたのかもしれません。
僕はどこにでもいる普通のオジサンです。
だからこそ、二度と同じ過ちを犯してはならないと強く感じています。
いわゆる右とか、左とか、与党とか、野党とか、無党派じゃなくて、
ただただ、市井に生きる僕たちにこれからの世の中は託されていると思います。

もちろん——
家族を愛し、日々を楽しみ、友達を慈しみですけどね。
少し早めに仕事を終えて、月曜の夜のライブに向かった。
週初めの帰宅の波に逆行するように、駅の階段を昇ったのも一瞬、
横浜までの京浜東北線、藤沢までの東海道線は慣れない満員電車だった。

藤沢の駅を出ると、みぞれまじりの弱く冷たい雨。
江ノ電に沿って、ひとり歩くこと約5分。
ベースを弾く親友のノジョー君、シンガーの持田浩嗣さんの誘いを受けて、
ライブ会場「soundmarket」の扉を開けた。
https://soundmarket.jimdofree.com/

小ぢんまりとした店内は、音楽愛に溢れる空間。
僕が来た時はメンバーが、まだリハーサル中だった。
今回、持田さんはニューアルバムを引っ提げてのライブツアー中。
吉祥寺や京都を拠点に活動する持田さんにとっても、
藤沢は何度もライブをしているもう一つのホームかもしれない。

ライブがすっと始まった。

僕たちは飲みながら、食べながら、ライブの中に入っていく。

持田さんの声は喜怒哀楽を心から絞り出しているように僕には聴こえる。
自分の心の奥底にぐいぐい響き、励まされ、背中を押され、
時に切ない過去を、蘇らせてくれる。

R&B、バラード、アップテンポなポップス……

まるで親友たちが集ったようなバンドメンバーたちとの息もぴったりで、
笑いを交えつつ、全12曲を歌い切った。

持田さん、メンバーの方たちに見送られて店の扉を閉める。
外にいたノジョー君に「またね」と言う。

ほろ酔いの心が熱い。

冷たい雨が少しだけ強くなっていた。

※Neo Mochida 愛の伝道師 魂のシンガー持田浩嗣
https://ameblo.jp/karensuiren/
アメリカも、イランも、酷いなと思います。
市井で生きる人たちは誰一人として、
戦争や内戦をして欲しいなんて、誰も思っていません。

それにつけても、日本の対応も酷い。
首相の中東訪問や中止するのに、自衛隊派遣はそのまま。
日本は戦争や殺戮ということに対して、
もっと真剣に反対しなければいけないと国だと思います。

訳知り顔で現実は違うとか、国際貢献しろとか、いう人もいるでしょう。
でも、平和ボケだろうと、甘い対応だと言われようと、
何よりも人の命を第一に、平和主義を貫き通すのが、
日本という国の大きな役目だとずっと思っています。

たったひとりの庶民の僕からすれば、
安倍さんは残念ながら、とっくにリーダー失格です。
関帝廟にて
1年の最初に何を書き綴ろうかと考えているうちに、
昨年の最初のブログなんだっけと、振り返ってみることにしました。

「湯島天神にて」――
大したことは書いていなかったのですが、
それなら今年もこの路線でと思い立ちました(笑)

正月2日、僕たち夫婦に長男家族4人、そして次男夫婦。
娘は年末年始ををかけて彼氏さんたちと四国へのクライミングツアーで不在。
昨年とはメンバー変更もあってのお参りとなりました。

賑わう中華街の中にある関帝廟。
それほど大きくはない建物ではありますが、
なかなか派手な配色で、正月気分を大いに盛り上げてくれました。

日本の神社仏閣とはちょっと異なった形式の参拝でしたが、
手を合わせ、それぞれの願いを込めてお参りしました。

そのあとは中華街でのささやかな新年会。
子供たち夫婦との孫二人に囲まれての、幸せなひと時でした。

遅ればせながら、本年も宜しくお願いします。
この1年、「受容、共感、共生」をテーマに、
仕事に取り組んできました。

見えてくるものはあったのか、
自分が何かできたのか、
その答えは、まだもう少し先のような気がします。

今年1年、ブログ仲間の皆さんからは、
様々な日常、ご意見、考え方……
たくさんのことを学ばせて頂きました。

来年も宜しくお願い申し上げます。
良いお年を!
それなりに忙しい師走を過ごしていましたら、
ブログに向かう機会を失っていました。

いかん、いかん、心に余裕を持たなければと、
何を書くわけでもなく、パソコンと向き合っています。

人との繋がりがあってこその仕事——

それなりではありますが、忙しいことに感謝しつつ、
ひとり一人との1年を振り返りつつ、
悔いのない年越しができるようにと思っています。
今年の元旦、夫婦で川崎に出掛けて、
「折角だから旧東海道を歩いて家まで帰ろう」となり、
こうなったら、東海道を何年かかっても歩き切ろうということになりました。

1月は川崎宿から鶴見、次の機会に大森から川崎宿、
そして、鶴見から神奈川宿。
5月に日本橋から浜松町、次の機会に浜松町から田町。
行ったり来たり、何日かかけて、つぎはぎしながら歩きました。

そして昨日の日曜。暑い時期は避けての久しぶりの再開。
田町から大森まで、泉岳寺に立ち寄ったりして、
のんびりと夕暮れの東海道を歩きました。

1年かけて、やっと三次、日本橋から神奈川宿まで繋がりました。
京の三条大橋はいつになることやらです(笑)
人には、それぞれの生き方、価値観、主義主張……
色々とあって当たり前ですし、それは認め合うものだと思います。

ただ、嘘はついてはいけません。
ましてや、人の上に立つ者は私利私欲も絶対にいけません。
この国のリーダーは、何かをはき違え、
そのリーダーを支える人たちも、ずっとただ従うだけの召使です。

この国の史上最長在位期間のリーダーの政権は、
僕からすれば、史上最低の政権だと思っています。
市井のたった一人の庶民の意見には、もちろん賛否もあると思います。
でも、おかしいことはおかしいと言いたい。
やってはいけないことを、さんざんやっていることを、
やっぱり認めるわけにはいかないんです。

人は自分が信じているものを、否定することは難しいと思います。
自己否定は、もっと難しい……。
僕は今の国のリーダーを最高の反面教師だと思っています。
今日、長男夫婦に2人目の子供が生まれました。

送られてきた写真は、思わず笑顔がこぼれてしまう寝顔でした。
ただただ、すくすくと育って欲しい。
真っ直ぐに、自分だけのたった一度の人生を歩んで欲しい。

見守っているだけしか、僕はできません。
でも、頼れる両親がいて、元気なお兄ちゃんがいて。

すずちゃんと呼ばれる君の未来はきっと——

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