足専門のアスレチックトレーナーとして、
母校、日体大のアスリートをサポートしているヒライ君の誘いを受けて、
横浜・健志台キャンパスへと卒業以来35年振りに行ってきました。

ヒライ君はフットケア専門家で、これまでも一般の方から、
母校の駅伝選手やサッカー選手などを精力的にサポートしてきました。
現在は日体の陸上部パラアスリートの選手たちを中心に関わっています。

そして、もうひとり、自分自身の勉強のため、
京都から研修で関東方面に来たスポーツナースのキノシタさん。
スポーツと健康をテーマに関西方面で活発に活動されている彼女は、
今回、ヒライ君と連絡を取り合い、手弁当で駆けつけてくれました。

僕が同行させて貰ったのは、
ヒライ君から「ハトリにも何かできないか」と依頼を受けたからでした。
彼がサポートしているパラアスリートの後輩たちに、
少しでも貢献できるようなお手伝いができればと微力ながら思っています。

自分の日体時代はこのキャンパスで誇れるものは何もありません。
それでも、35年振りに訪れた母校で、ヒライ君やキノシタさんに刺激を受けて、
自分自身を見つめ直す機会になりました。
館山に住む恩師は、退職後始めたカフェに被害を受けました。
南房総に住む、伯父夫婦は停電を凌ぎ、日常を取り戻そうとしています。
四街道に住む従姉家族もまた、台風の影響から脱しようと懸命です。

暮らすこと、日常を営むこと、平穏に暮らすこと。

自然は人の暮らしを奪おうと思って、
猛威を振るっているわけではありません。
人は自然に対して余りにも無力です。
否、無力だからこそ、畏敬の念を持って、
自然と共存し続けなければならないと思います。

国は、人は、自然の力がこの社会を襲ってしまったことにを受容しながらも、
被害を受けた人たちに、コミュニティ―に、
でき得る限り、温かい手を差し伸べるべきだと思うんです。

誰が大臣になったとか、どこかの会社の社長がやめたなんて、
はっきり言って、どうでもいい。

大切なことは、人が人としてただ暮らせることだと思います。
娘は旅行、カミサンは実家に帰り、
夜はそばを茹でつつ、ひとり酒。

久しぶりに観た「フィールド・オブ・ドリームス」

カミサンと付き合い始めた頃に初めて一緒に見た映画。
自分の趣味で強引に連れていった野球がテーマの映画です。

天の声に誘われるままに、
トウモロコシ畑に野球場作ってしまったケビンコスナー。
ラストは若き日の父親とキャッチボールをするシーン。

現実はそんなもんじゃないと嘆く自分に、
「いいじゃないか、夢とロマン」と叫ぶもう一人の自分がいました。
12年の時を越えて、不動大滝再び
「おとうさんは、三浦雄一郎みたいにエベレストも登れるんじゃんないですか」
「富士山ぐらいかな」

妻と父親が笑いながら、そんな会話をしている。
12年振りの群馬、赤城山山中の不動大滝。
その時は子供たちもいたが、今回は87歳の父に、妻と僕。
それほどの距離ではないものの、
アップダウンに、川を渡り、岩場を越えて、
何とか目的地に辿り着いた。

轟音と共に、水しぶきを上げ、不動大滝は昔のままだった。
静寂、清涼、そして変わらぬ大切なもの。

文明に頼り切っている僕たちだが、
目の前の滝をただ見ていると、
やはり人の小ささを感じずにはいられない。
先の大戦——

日本の戦争による犠牲者、約310万人。
2000万人とも言われるアジア各国での犠牲者。

加害と被害の歴史の戦争。

亡くなった方たちばかりではありません。
家族、友人、仲間……
深い傷を心身に負ってしまった人たちも数知れずです。

各メディアではこの時期、戦争の悲惨さを伝えています。
僕らのように戦争を直接知らない世代も、
その悲惨さを見つめ、次世代へと伝え、
命の重みを噛みしめなくてはならない大切に日だと思います。

戦争に何一つ良いことはありません。
人は、暮らしや命を奪い合ってまで、
何故、争うのでしょうか……
そんな素朴な疑問を感じながら、世相を見守っている昨今です。

8月6日——忘れるわけにはいかない日。

戦争を直接知らない僕たち世代も、
戦争があった事実、数々の悲惨な出来事があった事実と向き合い、
二度と過ちを犯してはならないと、次世代へと託す日かもしれません。

これだけは、はっきりしています。
戦争に何一つ、良いことはありません。
「たかが一票なんて」と思っている人がいるかもしれない。だが、その一票が私たちの暮らしに関わる貴重な原動力であることに違いはない。

7月の参院選は今の社会に対する自分の意思を示す大きなチャンスだ。神奈川の場合、選挙区で4人が選ばれ、比例代表も加わり、自分の意思がより強く反映される。

良識の府とされる参議院の現状はどうなのだろうか。国会審議を見る限り、残念ながら良識が十分に発揮されているとは思えない。数の論理で押し通す政権与党は衆院のみならず、参院でも政府に同調するだけで、野党の意見に耳を傾けようとしていない。だが野党議員といえども、後ろには投票した国民が必ずいる。

何のための「二院制」なのか。ここ数年、国民の思いに寄り添おうとしない政治があまりにも多かった。消費増税、憲法、沖縄県辺野古基地への新基地建設の是非、森友・加計問題、統計不正の解明などテーマは山ほどある。

私は立候補する人たちの真意に耳を傾け、この人こそふさわしいと思う人に一票を投じたい。

※6月24日付けの神奈川新聞の読者投稿欄に「参院選」をテーマに掲載して頂いた拙文です。少しでも自分の思いを伝えたいと思い、ここにも転載させて頂きました。
僕は今、現政権を支持していません(できません)。
だから、7月21日の参議院選挙では野党候補、野党に一票を投じます。

選挙区の候補者はもう決めています。
比例区はここからの6日間、じっくりと考えようと思っています。

身近な人にも選挙には行かないと言う人たちがいます。
僕はその意思を曲げようと強制するつもりはありません。
ただ、政治は決して僕らの身の回りから遠いところにあるものではなく、
日々の暮らしに、未来に生きる若い世代に直接関わることだと思っています。

消費税、憲法、年金、景気、原発、医療、教育……
テーマはいくらでもあります。

たったの一票、されど一票。
悪しき権力は、庶民が黙っていることをきっと喜ぶはずです。

「7月21日」はここに暮らす僕たちにとって、大切な一日です。
満席、静まり返った館内。エンドロールを誰一人、席を立たずに見つめている。
映画「新聞記者」――そこには今の日本の現状が映し出されていた。
権力に立ち向かう東京新聞の新聞記者、望月衣塑子さんの原作をもとに、描かれたこの作品は、人としての生き方を真正面から僕たちに問い掛けていた。

今年2月、とあるショッピングモールの映画街で「新聞記者」のポスターを偶然見た。主役はそこで初めて知ったソム・ウンギョンさんと松坂桃李さん。面白い組み合わせだなと思いつつ、ロードショーの際は必ず見ようと思っていた。
原作は未読だが、望月さんのことは、権力に立ち向かう真のジャーナリストとして、その存在は知っていた。

作品は期待以上のものだった。冒頭から怒りと悔しさに震え、瞳の潤みがずっと続いたままだった。
国家体制を維持するために真実を隠し、虚報を捏造する権力の側にいる人たち。その中で、もがき苦しむ若き官僚。身を粉にして、真実を追求し続ける新聞記者。彼女を時に後押しし、時にその頭を抑えようとする組織。
そして、暴き出される真実とその後――

久しぶりに出会った秀作だった。キャスト、スタッフに心からの拍手を送ると共に、託されたバトンをしっかりと握りしめようと思う。
仕事柄、人生の先輩たちからのさりげない言動に教えられる時があります。

「僕は70年間、丁稚奉公だったから」
90歳まで働いていたという93歳の男性は、
いつも穏やかな笑顔を湛えて、ずっと平々凡々だったと言います。
90歳の奥様と2人、明るく穏やかな暮らしぶりです。

「人生、もうちょっと楽しませてもらいたいんだな」
89歳で免許を返納した男性は、毎晩の一合の晩酌がささやかな楽しみ。
今はご夫婦でのポルトガル旅行が目標です。

グラウンドゴルフとペタンクを楽しんでいる89歳の女性は、
家でも旦那さん以上に、庭仕事や大工仕事に精を出し、
「ちょっと疲れちゃって」と言いながら、
すっとした姿勢でいつも綺麗に歩いています。

齢を重ねても、元気な方たちはいますが、
思うように体が動かず、病気と共に生きている方たちもいます。

でも、そんな人生の先輩たちの、それぞれの生きる姿に触れた時、
自分はまだまだだなと、いつも頭が下がる思いでいます。
年1回程度、必ず会って飲み語らう人がいます。
先日も週末にその人と地元の中華料理店で差し向かいで飲みました。

それぞれの近況、お互いの子供たちのこと、
飲み物はビールから紹興酒となり、
ほろ酔いの一線を少し越えて、それぞれの意見をぶつけ合いました。
その人と飲む時は、それが定番のようになっています。

自分を主張することと、相手の意見に耳を傾けること、
その上で、もう一度自分を見つめ直すこと。

少々面倒臭いことですが、物事の真理に近づこうとする時に、
大切なことなのかもしれません。

「じゃ、また来年ですね」

外は雨、店を出て、右と左に分かれて、
お互いふらりふらりと家路を目指しました。
仕事の合間、党首討論を見ることができました。
「年金問題」をテーマした討論。
年金は僕ら国民の暮らしに直接関わる大切なテーマです。

各メディアがどのように報道するかはともかく、
僕が見て政府与党が国民の方を見ていないことだけは、はっきりしました。

野党各党首は、安倍さんたちの今回の対応を非難するばかりではなく、
年金制度を少しでも改善するための提案をそれぞれに熱く語っていました。

残念ながら、安倍さんはその提案を無視、自己主張に終始していました。

「安倍さん、酷すぎるな」
テレビに向かって、思わず言葉が出てしまいました。

著名な方が何か政権批判をすると、
ツイッターが炎上したり、番組から外されたり、
じわじわと黒く嫌なムードが今の社会にはあります。

だからこそ、僕のようなどこにでもいる一介の庶民が、
おかしいことは、おかしいと言い続けることも大切だと思うのです。
若い頃、人の心を傷つけてしまったこともたくさんありました。
心の扉を閉じさせ、好きなことを嫌いにさせてしまったこともあります。
自分の思いを遂げたいあまりに、周りに迷惑をかけてしまったことも数々。

振り返れば、若気の至りで済まされないこともありました。

それなりに齢を重ねたからこそ思うのかもしれませんが、
真っ直ぐに、今は生きたいと感じるのです。
今の世の中は理不尽なことが多過ぎるように思います。

いい大人が何言ってんだとか、現実を見ろよとか、
そんな声が聞こえてくるようでもありますが、
今の社会に思いを巡らせた時――
真っ直ぐな気持ちを持ち続けようと感じています。
妻と銀座を歩いていた。僕には場違いという言葉がしっくりとくる場所だ。
そんな銀座を歩くのには理由があった。

穎川(えがわ)麻美子 日本画展――彼女の日本画展に行くのは二回目、最初に見たのは、もう10年以上前だった。有楽町駅で降りて、銀座をさまよい画廊を目指す。「柴田悦子画廊」は並木通りの角、銀座の歴史を感じる小ぶりなどっしりとしたビルの2階にあった。和やかな話し声に誘われるように、画廊に入る。小ぢんまりと程よいスペースに所狭しとばかりに、花や草木の大小の日本画が飾られていた。

「あらっ、来てくれたの」
主役の声にお互い笑顔で挨拶を交わす。日本画家の穎川さんは僕にとっては、高校時代のクラスメートのひとりだった。

高校3年の時、穎川さんとは席が隣り合わせのことがあった。青春の時、クラスメートたちとの悲喜交々もたくさんあった。彼女は文科系、僕はどちらかといえば体育系、畑違いだったが、何故かよく話した。
卒業してからは会う機会はほとんどなかったが、彼女が東京の短大から京都の美術系の短大へと入り、日本画家となったことは知っていた。同窓の画家がいることが、何となく誇らしくもあった。

穎川さんは苦労と努力の末に、絵筆一本の生活を成り立たせている。画風のことをとやかくいえるほどの知識も感性も僕にはないが、彼女の絵には穏やかな風が頬に触れるような心地良さがある。技術的ことは一切わからない。謙虚な美しさが彼女の絵から溢れ出ているように感じるのだ。

ここ2年で描いたこの日の絵の数々も多彩だった。
「絵にはその人のその時の感情や人柄が本当に出るんですね」と妻がぽつりと感想を漏らした。穎川さんの絵のほとんどが草花だ。生きとし生けるもの。ほんのりとした色合いのものもあれば、寂しげな色合いのものもある。そのどれもが、穎川さんの分身なのかもしれない。絵に癒され、その空間に癒された。

画廊を出ると、銀座の人波が緩やかになったような気がした。
戦争を肯定する人がいます。
人の命を軽んじる人もいます。

僕はこの人たちは間違っていると思います。

人の考えは人それぞれだということはわかります。
でも、誰もが命を大切に穏やかに暮らすことは、
人として、不変のテーマだと思います。

たったひとりの命の重みを——
何よりも大事にする世の中であって欲しいと願います。
先日、統一地方選挙がありました。
うちの選挙区でも知事選、県議選、市議選があり、
選挙権を行使してきました。

自分の投票が、議席に反映したのは一票だけ、
個人的にはもちろん残念でありますが、
一票を投じること自体に大きな意味があると思っています。

「自分の一票じゃ、何も変わらない」
「投票する人がいない」
「どうせ……」と、よんどころ無い事情ではなく、
選挙権を放棄する人もいます。
そのことをとやかく言うつもりはありません。

ただ、例え議席に反映しなくても、自分の意思を示すことに、
代えがたい大きな意味があると思います。

考え方や人柄、憲法観や平和への意識、景気対策への対応など、
どんなことでも、自分との一致点を見いだして、
一票を投じることは、自分たちに返ってくることだと思います。

「私なんか、選挙に行かなかったことないからね」

夜、86歳の母親が、選挙報道を見ながら語っていました。
先日、今の仕事を始めて間もない頃に、
お世話になった方と久しぶりにお会いしました。
お世話になったというよりも、育てて貰った方のひとりです。

誰にも人生にゴールがあるように、
その方も近づくゴールを受け止めつつ、
精一杯、生を全うしようとしています。

「はぶさん、いくつになったの」

真っ直ぐに僕を見つめて、僕のことを気に掛けてくれました。
ふっくらとしていた体は随分と痩せてしまいましたが、
穏やかな笑顔は昔のままでした。

人との関わりの大切さ、自分よりも相手の身を案じる気持ち。

そして、先日も人生を生き抜くことの意味を、
その方から教えてもらいました。
沖縄県の辺野古基地建設を巡っての県民投票―—

圧倒的な多数の民意で、沖縄の皆さんが「反対」の意志を示しました。
それに対して、否定的な様々な意見をいう方たちがいますが、
僕は同じ日本に住む人間として、その民意を尊重し、応援したいと思います。

はっきり言って、今の政府は主権者である国民の意志を、
ないがしろにすることがあまりにも多いと以前から感じていました。
今回の沖縄の皆さんの悲願に対しても、
政府は非情な対応をし続け、寄り添うべき対象をはき違えているようです。

沖縄の皆さんの民意のバトンは、僕たちに託されています。
誰もが主権を持つひとりとして、じっくりと考える時だと思うのです。
次男が小学校4年生の時だったと思います。
時々、思い出し、かわいそうだったなと振り返ることがあります。

あるサッカーの大会での活躍が認められて、
チームからの優秀選手として次男が選ばれたことがありました。

大会終了後の表彰式が終わって、
胸にかかるメダルを誇らしげに持って、
応援に行っていた僕に見せにきました。
ちょっとはにかんだ嬉しそうな顔は今でも覚えています。

その時の僕のひと言――

「これは、みんなで取ったメダルだよな」

うんと頷いていた次男でしたが、
なんで「おめでとう」とか「良かったな」とか、
素直に褒めてやれなかったのかと、ずっと後悔しています。

子供心を大人の論理で被せてしまってようで、
あとで妻にも怒られました。

あれから、随分と時が経ちました。
この大安の立春に、可愛らしい芯のしっかりした彼女と入籍し、
新しい生活をスタートさせました。

明日は2人とお嫁さんのお母様と僕たち夫婦で会います。
ささやかに、それでもたっぷり気持ちを込めて、
2人の結婚を祝いたいと思います。
仕事を終えて思い立ち、近所のドラッグストアに買い物に行きました。
冷たい風が頬に触れましたが、凛とした空気が気持ち良くもありました。

ちりん、ちりん――

どこからか、季節外れの風鈴の音が聞こえます。
寂しさを感じることもある冬の風鈴は、
その時はなんとなく、心が温もるようでした。

歩きながら深呼吸をして、夜空を見上げると、
都会の空に散りばめられた、それなりの星空。
「まぁ、こんなもんか」と独り言ちながらも、
久しぶりに見た星空は、また少し気分を良くしてくれました。

目的のドラッグストアに着くと店員の女性が、
何やら親子連れのお客さんに穏やかに微笑んでいました。

買い物をする前に、
本当の買い物は済んでしまったのかもしれません。

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