今日……いや、昨日で今年最後の仕事を終えました。
年初に飛躍の年と記した1年、それなりに低くて小さい空へと、
少しは羽ばたけたような気がしています。
昨晩は長男夫婦と妻と娘、それに母親の6人で、
ささやかな宴で盛り上がりました。
久しぶりに酔い、久しぶりにくどくどと語ってしまいました。
でも、家族の輪が広がり、新たな命と出会うことができるのは、
やはり大きな楽しみです。
ささやかで、ありふれたもので良い。
庶民か噛みしめる幸せを、僕はやはり大切にしたいと思います。
年初に飛躍の年と記した1年、それなりに低くて小さい空へと、
少しは羽ばたけたような気がしています。
昨晩は長男夫婦と妻と娘、それに母親の6人で、
ささやかな宴で盛り上がりました。
久しぶりに酔い、久しぶりにくどくどと語ってしまいました。
でも、家族の輪が広がり、新たな命と出会うことができるのは、
やはり大きな楽しみです。
ささやかで、ありふれたもので良い。
庶民か噛みしめる幸せを、僕はやはり大切にしたいと思います。
久しぶりの連休の日曜、昼近くになり雨が上がりました。
「東京に行ってみるか」
東京フリー切符(JR東京23区間750円)を利用して、
あちらこちらへと行ってみようと企てました。
神奈川を脱出し、蒲田で切符をゲットし、
まずは有楽町で妻のお気に入りの店で昼食。
次は中央線に乗り換えて、主目的の浅草橋へと向かいました。
場所は「シモジマ」。
全く知らない店でしたが、雑貨の類を多数取れ揃えている店。
娘の成人式の写真に使う髪飾りを作りたいと、
妻がイメージする造花を探しに行きました。
どこか下町の香りのする浅草橋の街を少し歩くとシモジマに着きました。
店内に入ると溢れんばかりの造花の数々に驚きつつも、
妻は満足顔でイメージした造花を数点買い求めていました。
男性客は数人で、ちょっと肩身が狭い思いもありましたが、
こんな店があるのかと、ちょっとした発見でもありました。
「話題の都庁に行ってみるか」ということで、最後は新宿。
浅草橋からの中央線では途中、
東京ドームで奮闘中のベイスターズを車中から応援し(笑)、
久しぶりに大都会新宿へと足を運びました。
西口中央改札で降り、人ごみを掻き分けるように都庁へと向かいます。
新宿は新卒で3年ほど働いた街ですが、
オジサンになった自分はその老若男女の賑わいに圧倒されました。
歩くこと15分少々、目の前の巨大な建物は、
あまりにも小さな自分が飲み込まれてしまうような圧迫感がありました。
無料の展望台に上り、45階から東京を眺めても、
大都会の隅々の息づかいは、聞こえるはずもありません。
東京は、温かく、そしてクールな街でもありました。
「東京に行ってみるか」
東京フリー切符(JR東京23区間750円)を利用して、
あちらこちらへと行ってみようと企てました。
神奈川を脱出し、蒲田で切符をゲットし、
まずは有楽町で妻のお気に入りの店で昼食。
次は中央線に乗り換えて、主目的の浅草橋へと向かいました。
場所は「シモジマ」。
全く知らない店でしたが、雑貨の類を多数取れ揃えている店。
娘の成人式の写真に使う髪飾りを作りたいと、
妻がイメージする造花を探しに行きました。
どこか下町の香りのする浅草橋の街を少し歩くとシモジマに着きました。
店内に入ると溢れんばかりの造花の数々に驚きつつも、
妻は満足顔でイメージした造花を数点買い求めていました。
男性客は数人で、ちょっと肩身が狭い思いもありましたが、
こんな店があるのかと、ちょっとした発見でもありました。
「話題の都庁に行ってみるか」ということで、最後は新宿。
浅草橋からの中央線では途中、
東京ドームで奮闘中のベイスターズを車中から応援し(笑)、
久しぶりに大都会新宿へと足を運びました。
西口中央改札で降り、人ごみを掻き分けるように都庁へと向かいます。
新宿は新卒で3年ほど働いた街ですが、
オジサンになった自分はその老若男女の賑わいに圧倒されました。
歩くこと15分少々、目の前の巨大な建物は、
あまりにも小さな自分が飲み込まれてしまうような圧迫感がありました。
無料の展望台に上り、45階から東京を眺めても、
大都会の隅々の息づかいは、聞こえるはずもありません。
東京は、温かく、そしてクールな街でもありました。
去る夏、来る秋、その先の冬
2016年8月31日 エッセイ コメント (6)先日、卒業以来36年後の高校の同窓会がありました。
本当に久しぶりの先生や同期生、級友たち。
どの顔も懐かしく、みんな年を重ねても変わらない雰囲気がありました。
36年間、燻っていた疑問を友達にぶつけたり、
僕に投げかけた先生の言葉の真意を聞いてみたり、
時が経ったからこその、種明かしもたくさんあって、楽しいひと時でした。
この夏は、娘のクライミングの応援に初めて甲府に行ったり、
久しぶりにカミサンの実家の富士に行き、墓参をしたり、
父と次男と共に、4度目の御巣鷹を登ったりと、
気が付けば、久しぶりに随分と飛び回った夏だったと思います。
その締めは長男の婚約。
縁に恵まれ、最愛の人と家庭を築くことになりました。
夏が去り、秋が来て、その先の冬。
繰り返す季節の中に人生は喜怒哀楽に溢れているようです。
本当に久しぶりの先生や同期生、級友たち。
どの顔も懐かしく、みんな年を重ねても変わらない雰囲気がありました。
36年間、燻っていた疑問を友達にぶつけたり、
僕に投げかけた先生の言葉の真意を聞いてみたり、
時が経ったからこその、種明かしもたくさんあって、楽しいひと時でした。
この夏は、娘のクライミングの応援に初めて甲府に行ったり、
久しぶりにカミサンの実家の富士に行き、墓参をしたり、
父と次男と共に、4度目の御巣鷹を登ったりと、
気が付けば、久しぶりに随分と飛び回った夏だったと思います。
その締めは長男の婚約。
縁に恵まれ、最愛の人と家庭を築くことになりました。
夏が去り、秋が来て、その先の冬。
繰り返す季節の中に人生は喜怒哀楽に溢れているようです。
なぜ、遺族でもないのにこの山に登るのか――
過去三回の御巣鷹の慰霊登山では、いつも自問自答していた。
その答えは出るはずもなく、四回目となる今回は何かを掴みたいと思っていた。
84才になる父、22才の初めての御巣鷹の次男、そして僕。
もし、31年前にあれほどの大惨事がなければ、
この山は手つかずの自然に満ち溢れた名も無き山だったと思う。
その御巣鷹の登山の折、父や次男と会話を交わす中、
ふと自分の口から言葉が出た。
「この山は命の重みを感じて登る山だよ」
飾り気もない言葉だが、本心が言葉になった。
自然災害、交通事故、戦争……
天災、人災に限らず、無為に命を失ってしまうことが、
世の中には余りにも多い。
命の重みを感じて登る山――
登る山を歩む人生に置き換えてもいい。
あるいは、築く社会でもいいかもしれない。
いずれにしても――
御巣鷹を登る意味にやっと気付くことができたのかもしれない。
過去三回の御巣鷹の慰霊登山では、いつも自問自答していた。
その答えは出るはずもなく、四回目となる今回は何かを掴みたいと思っていた。
84才になる父、22才の初めての御巣鷹の次男、そして僕。
もし、31年前にあれほどの大惨事がなければ、
この山は手つかずの自然に満ち溢れた名も無き山だったと思う。
その御巣鷹の登山の折、父や次男と会話を交わす中、
ふと自分の口から言葉が出た。
「この山は命の重みを感じて登る山だよ」
飾り気もない言葉だが、本心が言葉になった。
自然災害、交通事故、戦争……
天災、人災に限らず、無為に命を失ってしまうことが、
世の中には余りにも多い。
命の重みを感じて登る山――
登る山を歩む人生に置き換えてもいい。
あるいは、築く社会でもいいかもしれない。
いずれにしても――
御巣鷹を登る意味にやっと気付くことができたのかもしれない。
庶民の目を持つ人・都知事選報道から
2016年7月26日 エッセイ前知事の不祥事を受けて、東京都知事選挙があります。
先日、たまたま見ていたテレビで良く紹介される3人の選挙活動の様子が報じられていました。
大手メディアや報道の取り扱い方を注視していると、誰を推しているのかは、はっきりとわかるのですが、今回の報道ではその3人の人柄がよくわかるようでした。
前衆議院のKさんは、人がたくさん集まるターミナル駅の周辺のいくつかを、大勢のスタッフを引き連れて、身振り手振りで演説をしていました。追っかけの人たちや知名度ゆえに足を止めた大勢の人たちに囲まれて、得意満面の表情でした。
官僚出身で元岩手県知事のMさんは、政権党の後援者たちが集まる公会堂や体育館で、たくさんの支持者を集めて、熱弁をふるっていました。政権党が長きに渡って培って来た地盤を活用し、都議会議員の応援も受け、テンションを上げていました。
そして、もう一人。元アンカーマンのTさんは首都圏から遠く離れた伊豆大島に降り立っていました。少数のスタッフと共に、それほど多くもない住民の前で、訥々と自分の訴えを静かに語っていました。その目にぎらぎらしたものはありません。
もちろん、選挙ですからイメージ戦略もあれば、メディアを意識した選挙活動と言うこともあるでしょう。でも、この時の3人の様子を見ながら、庶民の目に近い人は誰なのか、都民の傍らに寄り添える人なのは誰なのか、はっきりと分かった思いでした。
先日、たまたま見ていたテレビで良く紹介される3人の選挙活動の様子が報じられていました。
大手メディアや報道の取り扱い方を注視していると、誰を推しているのかは、はっきりとわかるのですが、今回の報道ではその3人の人柄がよくわかるようでした。
前衆議院のKさんは、人がたくさん集まるターミナル駅の周辺のいくつかを、大勢のスタッフを引き連れて、身振り手振りで演説をしていました。追っかけの人たちや知名度ゆえに足を止めた大勢の人たちに囲まれて、得意満面の表情でした。
官僚出身で元岩手県知事のMさんは、政権党の後援者たちが集まる公会堂や体育館で、たくさんの支持者を集めて、熱弁をふるっていました。政権党が長きに渡って培って来た地盤を活用し、都議会議員の応援も受け、テンションを上げていました。
そして、もう一人。元アンカーマンのTさんは首都圏から遠く離れた伊豆大島に降り立っていました。少数のスタッフと共に、それほど多くもない住民の前で、訥々と自分の訴えを静かに語っていました。その目にぎらぎらしたものはありません。
もちろん、選挙ですからイメージ戦略もあれば、メディアを意識した選挙活動と言うこともあるでしょう。でも、この時の3人の様子を見ながら、庶民の目に近い人は誰なのか、都民の傍らに寄り添える人なのは誰なのか、はっきりと分かった思いでした。
人それぞれに考え方はあります。
人それぞれに幸せの価値観も違うかとも思います。
選挙に行きましょう――
自分の考えに一致する人、少しだけ一致する人、
自分とは少し違うけど、なるほどと思う意見を持っている人。
選挙に行って、自分だけの一票を投票しましょう。
メディアでは色々な争点も挙げられています。
その中には、将来の生き方に関わる大切なこともあります。
表面的な報道に惑わされず、自分の頭で考え、自分の心に問い掛け、
この国の政治に直接関わる一票を大切にしましょう。
「変わらないじゃん」という人もいるでしょう。
そうなんです。投票しなければ何も変わらないんです。
例え、自分の支持者が当選しなかったとしても、
投じた一票には、自分の思いは必ず乗っているはずです。
やっぱり選挙に行きましょう。
人それぞれに幸せの価値観も違うかとも思います。
選挙に行きましょう――
自分の考えに一致する人、少しだけ一致する人、
自分とは少し違うけど、なるほどと思う意見を持っている人。
選挙に行って、自分だけの一票を投票しましょう。
メディアでは色々な争点も挙げられています。
その中には、将来の生き方に関わる大切なこともあります。
表面的な報道に惑わされず、自分の頭で考え、自分の心に問い掛け、
この国の政治に直接関わる一票を大切にしましょう。
「変わらないじゃん」という人もいるでしょう。
そうなんです。投票しなければ何も変わらないんです。
例え、自分の支持者が当選しなかったとしても、
投じた一票には、自分の思いは必ず乗っているはずです。
やっぱり選挙に行きましょう。
昨年、11月から時々走るようになりました。
ちまたでは市民マラソン大会も盛んになり、
そこを目指し、トレーニングしている人はたくさんいます。
僕はというと、大会に出ようとかの志は全くなく、
ただ走っているだけ。
先日は何十年かぶりに、5㎞を走りました。
ゆっくりとマイペースで、空気を感じ、地面を感じ、
時に苦しく、時に楽しくです。
若い頃はとにかく良く走っていました。
バドミントンが強くなりたいために、
毎日のように走り、走ることはただ辛いだけでした。
何故、また走り始めたのか――
その答えはまだ出ていません。
だから今は、
ただ走ろうと思っています。
ちまたでは市民マラソン大会も盛んになり、
そこを目指し、トレーニングしている人はたくさんいます。
僕はというと、大会に出ようとかの志は全くなく、
ただ走っているだけ。
先日は何十年かぶりに、5㎞を走りました。
ゆっくりとマイペースで、空気を感じ、地面を感じ、
時に苦しく、時に楽しくです。
若い頃はとにかく良く走っていました。
バドミントンが強くなりたいために、
毎日のように走り、走ることはただ辛いだけでした。
何故、また走り始めたのか――
その答えはまだ出ていません。
だから今は、
ただ走ろうと思っています。
顔のある人と、顔のある街へ
2016年2月10日 エッセイどこの街に行っても、同じような風景があり、
どこの街に行っても、右へ倣えというように、
同じ顔の人たちで溢れている錯覚に陥ることがあります。
日本はどこへと向かっているのでしょうか。
どこにでもあるショッピングモール、コンビニ、大型洋品店……
居酒屋、ファーストフード店、電気量販店……
そこを行き交うスマホを見つめる人たち。
顔がない人。顔がない街。
そこにどっぷりと浸かってしまえば、何も心配はいらないと、
自分を消し、自分を消していることさえも気づかないまま、
暮らしている人もいるかもしれません。
このブログを書く様になってあっという間に12年。
様々な人たちと出会い、その生き様に触れ、
ここを通じて知り合った方たちからは、
たくさんの温かい言葉を頂きました。
もちろん、みんなそれぞれの顔があり、
血の通ったそれぞれの思いがある。
今の社会のなんとも言えない違和感に戸惑いながらも、
人という温もりに満ちた存在を、ずっと信じてこられたのも、
そんな顔のある人たちと触れ合ってこられたからこそと思います。
ここ数日、過去に書いた自分のブログを振り返っていました。
干支が一周しても、自分は何も変わりはしませんでしたが、
たくさんの出会いがあり、喜怒哀楽があったことは確かです。
顔のある人たちと、顔のある街を作り、
心の通い合う触れ合いを、もっともっと大切にしたいと思います。
どこの街に行っても、右へ倣えというように、
同じ顔の人たちで溢れている錯覚に陥ることがあります。
日本はどこへと向かっているのでしょうか。
どこにでもあるショッピングモール、コンビニ、大型洋品店……
居酒屋、ファーストフード店、電気量販店……
そこを行き交うスマホを見つめる人たち。
顔がない人。顔がない街。
そこにどっぷりと浸かってしまえば、何も心配はいらないと、
自分を消し、自分を消していることさえも気づかないまま、
暮らしている人もいるかもしれません。
このブログを書く様になってあっという間に12年。
様々な人たちと出会い、その生き様に触れ、
ここを通じて知り合った方たちからは、
たくさんの温かい言葉を頂きました。
もちろん、みんなそれぞれの顔があり、
血の通ったそれぞれの思いがある。
今の社会のなんとも言えない違和感に戸惑いながらも、
人という温もりに満ちた存在を、ずっと信じてこられたのも、
そんな顔のある人たちと触れ合ってこられたからこそと思います。
ここ数日、過去に書いた自分のブログを振り返っていました。
干支が一周しても、自分は何も変わりはしませんでしたが、
たくさんの出会いがあり、喜怒哀楽があったことは確かです。
顔のある人たちと、顔のある街を作り、
心の通い合う触れ合いを、もっともっと大切にしたいと思います。
大学生の頃、高校の先輩に連れられて、初めてその店の扉を開けた。
「ルージン」――先輩の高校時代のクラスメートがマスターというスナック。20歳そこそこの僕にとっては、大人の世界に一歩踏み出すような気分だった。
あれから30数年の時が流れた。親友のライブや草野球チームの忘年会にも、マスターはいつも「いいよ」と言って、わがままを聞いてくれていた。少し年上の高校の先輩の店ということで、常連のような顔をしている僕にも、マスターはいつも変わらずの顔でいてくれていた。
1月15日、金曜の夜。ちょっと遅くなった仕事を終え、「ルージン」の扉を開けた。店内は、楽しそうに酒を飲み、語らう人たちで賑わっていた。マスターに挨拶をして、ひと足先にほろ酔いの仲間たちふたりを見つける。誘われるままにカウターの席に着いて間もなく、偶然にも草野球仲間が一人で来た。すぐさま、4人でテーブルの席に移って、あれやこれやと軽重の話に花を咲かす。最初はビール、次からはウイスキーや焼酎の水割り、飲むことの楽しみを教えてくれたのも、今思えばここだったのかもしれない。
「焼きそばならできるよ」
お腹に溜まるものを頼むと、カウンターの奥からマスターの声。メニューはあってないようなものだが、頼めばハンバーグやスパゲッティも作ってくれた。時折、マスターに話を振ると、いつでも気軽に応じてくれた。
夜の酒場の主役は訪れた人たちだろう。その主役たちの話を聞き、時には愚痴に応え、力を注ぐように、マスターはさりげなく酒を注ぐ。
マスターは大学生の頃、アルバイトとして「ルージン」で働き始めた。
「気が付けば、ずっとこの仕事だよ」
時代の流れと共に、「ルージン」のカウンターの向こう側に立ち続け、酸いも甘いも小さな店から見守ってきたマスター。その店がもうすぐ終わる。
閉店前日のこの夜も無情にも時が少しずつ流れ、客がひとり二人と帰って行く。誰もがマスターとの時間を惜しむように挨拶を交わし、それぞれの場所へと帰って行く。
気が付けば、僕たちだけになっていた。「ルージン」での最後の夜。惜しむようにもう一杯、もう一杯と飲む。誰ともなく、そろそろ帰るかの声。カウンターの向こう側、いつものマスターの瞳が心なしか光って見えた。
僕たちは、「ルージン」での最後の扉をそっと閉じた。
「ルージン」――先輩の高校時代のクラスメートがマスターというスナック。20歳そこそこの僕にとっては、大人の世界に一歩踏み出すような気分だった。
あれから30数年の時が流れた。親友のライブや草野球チームの忘年会にも、マスターはいつも「いいよ」と言って、わがままを聞いてくれていた。少し年上の高校の先輩の店ということで、常連のような顔をしている僕にも、マスターはいつも変わらずの顔でいてくれていた。
1月15日、金曜の夜。ちょっと遅くなった仕事を終え、「ルージン」の扉を開けた。店内は、楽しそうに酒を飲み、語らう人たちで賑わっていた。マスターに挨拶をして、ひと足先にほろ酔いの仲間たちふたりを見つける。誘われるままにカウターの席に着いて間もなく、偶然にも草野球仲間が一人で来た。すぐさま、4人でテーブルの席に移って、あれやこれやと軽重の話に花を咲かす。最初はビール、次からはウイスキーや焼酎の水割り、飲むことの楽しみを教えてくれたのも、今思えばここだったのかもしれない。
「焼きそばならできるよ」
お腹に溜まるものを頼むと、カウンターの奥からマスターの声。メニューはあってないようなものだが、頼めばハンバーグやスパゲッティも作ってくれた。時折、マスターに話を振ると、いつでも気軽に応じてくれた。
夜の酒場の主役は訪れた人たちだろう。その主役たちの話を聞き、時には愚痴に応え、力を注ぐように、マスターはさりげなく酒を注ぐ。
マスターは大学生の頃、アルバイトとして「ルージン」で働き始めた。
「気が付けば、ずっとこの仕事だよ」
時代の流れと共に、「ルージン」のカウンターの向こう側に立ち続け、酸いも甘いも小さな店から見守ってきたマスター。その店がもうすぐ終わる。
閉店前日のこの夜も無情にも時が少しずつ流れ、客がひとり二人と帰って行く。誰もがマスターとの時間を惜しむように挨拶を交わし、それぞれの場所へと帰って行く。
気が付けば、僕たちだけになっていた。「ルージン」での最後の夜。惜しむようにもう一杯、もう一杯と飲む。誰ともなく、そろそろ帰るかの声。カウンターの向こう側、いつものマスターの瞳が心なしか光って見えた。
僕たちは、「ルージン」での最後の扉をそっと閉じた。
飛躍――よく使われる言葉でもありますが、
何はともあれ、今年は今いる場所からほんの少し飛び立てればと思っています。
特別に何をするわけではなく、どこかに行くわけでもなく、
でかいことをしでかそうと、思っているわけでもありません。
許す限りのチャレンジをし、目指す願いを諦めることなく、
自分なりにやり抜く1年にしたいと思うのです。
元日、ランニングシューズを買いに行きました。
高校時代以来の久しぶりのランニングシューズです。
昨秋から少しずつ走り始めましたが、何のためとかの理由はありません。
気が向くまま、何十年ぶりかに走り始めました。
自分なりのゴールはそれなりに決めてはいますが、
1年続くか、明日やめるかは自分次第です。
2日、思い立って町田にある天満宮に家族で初詣に行きました。
おみくじを引くと、大吉。
何故か大吉とは縁のなかったここ数年でしたが、
今年は小さな空を少しは羽ばたくことができるのかもしれません。
いつの間にか今年も成人の日になってしまいました。
本当に遅ればせながら、今年も宜しくお願いします。
何はともあれ、今年は今いる場所からほんの少し飛び立てればと思っています。
特別に何をするわけではなく、どこかに行くわけでもなく、
でかいことをしでかそうと、思っているわけでもありません。
許す限りのチャレンジをし、目指す願いを諦めることなく、
自分なりにやり抜く1年にしたいと思うのです。
元日、ランニングシューズを買いに行きました。
高校時代以来の久しぶりのランニングシューズです。
昨秋から少しずつ走り始めましたが、何のためとかの理由はありません。
気が向くまま、何十年ぶりかに走り始めました。
自分なりのゴールはそれなりに決めてはいますが、
1年続くか、明日やめるかは自分次第です。
2日、思い立って町田にある天満宮に家族で初詣に行きました。
おみくじを引くと、大吉。
何故か大吉とは縁のなかったここ数年でしたが、
今年は小さな空を少しは羽ばたくことができるのかもしれません。
いつの間にか今年も成人の日になってしまいました。
本当に遅ればせながら、今年も宜しくお願いします。
あわただしく12月を過ごし、
あっという間に大みそかになってしまいました。
もっと書き残しておきたいことはあったのですが、
ついつい書くことを怠り、
本当に気まぐれなブログになってしまいました。
今年は様々な人との出会い、再会があり、
53になった自分も刺激を受けた1年でした。
既知の友人たちとのふとした会話にも、
たくさんの驚きや感嘆したこともあり、
精神的にも収穫の多い1年だったように思います。
大晦日の今日は次男と2人、師走の街並みを走ってきました。
程よく汗をかき、程よく息を上げ、体は重く、心は軽くなりました。
来年は果たしてどんな年になるのか、
いや、どんな年にしたいのか――
時代の流れに任せるのではなく、
自分の心の奥に問い続ける1年にしたいと思います。
来年も宜しくお願いします。
あっという間に大みそかになってしまいました。
もっと書き残しておきたいことはあったのですが、
ついつい書くことを怠り、
本当に気まぐれなブログになってしまいました。
今年は様々な人との出会い、再会があり、
53になった自分も刺激を受けた1年でした。
既知の友人たちとのふとした会話にも、
たくさんの驚きや感嘆したこともあり、
精神的にも収穫の多い1年だったように思います。
大晦日の今日は次男と2人、師走の街並みを走ってきました。
程よく汗をかき、程よく息を上げ、体は重く、心は軽くなりました。
来年は果たしてどんな年になるのか、
いや、どんな年にしたいのか――
時代の流れに任せるのではなく、
自分の心の奥に問い続ける1年にしたいと思います。
来年も宜しくお願いします。
1年1度、決まって頼まれる原稿があります。
原稿というほど大それたものではなく、要は挨拶文のようなもの。
おそらく、大多数の人は読まずに飛ばしてしまうような文章です。
もう10年以上、書いているのですが、
昨年ある方から、賛同の言葉を頂きました。
どんな媒体ではあっても、自分なりに心を込めて伝えれば、
たった一人であっても伝わるものはあるのかもしれません。
そして、今年は何を書こうか――
思うことを言葉に紡ぐ難しさを、改めて感じているこの頃です。
原稿というほど大それたものではなく、要は挨拶文のようなもの。
おそらく、大多数の人は読まずに飛ばしてしまうような文章です。
もう10年以上、書いているのですが、
昨年ある方から、賛同の言葉を頂きました。
どんな媒体ではあっても、自分なりに心を込めて伝えれば、
たった一人であっても伝わるものはあるのかもしれません。
そして、今年は何を書こうか――
思うことを言葉に紡ぐ難しさを、改めて感じているこの頃です。
ライトアップされた白く堅牢な建物を眺めながら、ふと思った。
ここまで来るのは初めてかもしれない――
9月15日の夜。
家族には散歩に行ってくると告げて、国会議事堂へと向かった。
東京メトロの国会議事堂前駅の改札口は警察官に警護され、
物々しい雰囲気だった。
地上に出ると、辺野古移設反対のシュプレキコールが響く。
国会前はいたるところで闘っていた。
右手に議事堂、左手に首相官邸を捉えながら、大きな交差点を渡り、
国会議事堂の横をゆっくりと歩く。
ここまで来たなら議事堂の周囲を一周しようと思っていた。
議事堂の裏通りは思いの外、人は少なかったが、
それでも時折、小さな集会が開かれていて、思い思いの主張をぶつけていた。
そんな静かな道にも等間隔に警察官がいて、それなりに目を光らせている。
銀杏の香りが漂う裏通りから、議事堂の正面に向かって歩いていくと、
徐々に人が増えはじめ、行き交う人の多くが、
「戦争をさせるな」「9条を壊すな!」のポスターを掲げている。
人波はどんどん増え、ところどころに設置されたスピーカーから、
メイン会場のスピーチが聞こえてきた。
見知らぬ男性が、そのポスターを歩行者に渡しあぐねている。
そっと手を出すと、その男性がそっと微笑んだ。
人、人、人……溢れんばかりの人。
老若男女、関係なく人垣ができているが、
それでいて通り道は、警察官と協力して確保してくれている。
「これは本物の熱だ」そんな言葉が心をよぎる。
誰でもない多くの国民の熱が僕の心にも炎を灯した。
公聴会の公述人として意見を述べた学生の代表もいた。
できる限りのことをやり続けている彼の横顔は眩しく輝いている。
しばらく歩くと、ある官庁の建物の前に辿り着いた。
ダークスーツで決めたエリートたちが涼しげな顔で官庁に入る。
残業だろうか。それは多分、いつも通りの横顔。
熱に流されながら、いつのまにか霞が関駅の近くに来ていた。
改めて国会議事堂を睨む。
今日この日、この光景をずっと忘れまいと思う。
ここまで来るのは初めてかもしれない――
9月15日の夜。
家族には散歩に行ってくると告げて、国会議事堂へと向かった。
東京メトロの国会議事堂前駅の改札口は警察官に警護され、
物々しい雰囲気だった。
地上に出ると、辺野古移設反対のシュプレキコールが響く。
国会前はいたるところで闘っていた。
右手に議事堂、左手に首相官邸を捉えながら、大きな交差点を渡り、
国会議事堂の横をゆっくりと歩く。
ここまで来たなら議事堂の周囲を一周しようと思っていた。
議事堂の裏通りは思いの外、人は少なかったが、
それでも時折、小さな集会が開かれていて、思い思いの主張をぶつけていた。
そんな静かな道にも等間隔に警察官がいて、それなりに目を光らせている。
銀杏の香りが漂う裏通りから、議事堂の正面に向かって歩いていくと、
徐々に人が増えはじめ、行き交う人の多くが、
「戦争をさせるな」「9条を壊すな!」のポスターを掲げている。
人波はどんどん増え、ところどころに設置されたスピーカーから、
メイン会場のスピーチが聞こえてきた。
見知らぬ男性が、そのポスターを歩行者に渡しあぐねている。
そっと手を出すと、その男性がそっと微笑んだ。
人、人、人……溢れんばかりの人。
老若男女、関係なく人垣ができているが、
それでいて通り道は、警察官と協力して確保してくれている。
「これは本物の熱だ」そんな言葉が心をよぎる。
誰でもない多くの国民の熱が僕の心にも炎を灯した。
公聴会の公述人として意見を述べた学生の代表もいた。
できる限りのことをやり続けている彼の横顔は眩しく輝いている。
しばらく歩くと、ある官庁の建物の前に辿り着いた。
ダークスーツで決めたエリートたちが涼しげな顔で官庁に入る。
残業だろうか。それは多分、いつも通りの横顔。
熱に流されながら、いつのまにか霞が関駅の近くに来ていた。
改めて国会議事堂を睨む。
今日この日、この光景をずっと忘れまいと思う。
夏の群馬での登山はもう何度目になるのだろうか。子供が幼い頃から、夏は必ず父の暮らす群馬へと行く。その父も82歳、昨夏は膝を悪くして、御巣鷹慰霊登山を断念した。
「今年は雨乞にしようよ」
提案したのは僕だった。昨年行けなかった御巣鷹への思いも父は強いようだったが、2年ぶりの登山を考慮して、雨乞山を提案した。
群馬県の沼田市にある雨乞山の標高は1000m程度。歩行距離も登山口から頂上まで1500mで、一昨年の登山ではハイキングのように山登りを楽しめた。父の膝のこともあったが、雨乞山は低い山ながら自然に満ち溢れた散策道が続き、視界の広がる頂上もある。それなりに達成感もあり、みんなで気軽に登れるだろうと思った。
メンバーは父と僕の他は、長男のリョウと娘のユイ。24歳と18歳、もう幼い頃の2人ではないが、父にとって孫はいつまで経っても孫のはずだ。土曜の仕事を終え、群馬に着いたのが午前0時。父はすでに寝ていて、「キュウリを肴に冷蔵庫のビール飲むように」との書置きがあった。渇いた喉をビールで潤し、登山に備えてすぐに床に就いた。
朝6時、すでに父は起き、朝食の支度をしていた。自宅の畑で作るキュウリとナスに焼き鮭が用意され、あとは食べるだけになっていた。再会の挨拶を済ませ、みんなで父が作った朝食を頬張った。
「ユイちゃん、髪の毛を染めたのか。さすがに今の若い娘だな」
さりげない言葉にも、歳を重ねた柔らかさがある。
「おじいちゃん、ナス美味しいよ」
ユイもそうだが、長男のリョウも普段、父親の僕には見せない顔を祖父には見せる。いくつになっても祖父母と触れ合うことは子供にとっても、大切なことなのだろう。
朝食を平らげ、身支度を整えると「そろそろ行くぞ」の声。天気は快晴、もちろん夏の群馬特有のむっとした暑さもある。それでも3世代での登山ができる喜びを感じて、目的地の雨乞山へと出発した。
夏の登山ではいつも父が目的地までの運転を買って出る。昔から運転が好きな父はこの歳になっても、長距離運転を苦にしない。助手席から景色を眺めると、道路は広く綺麗に整備され、良くも悪くも総理大臣を4人も出した土地柄だと改めて思う。
車も沼田市街に入ると、街は夏祭りの準備をしているようだった。日本の夏と言えば、やはり祭り。古くから伝わる風習は、どんなに時代が進んでもなくならないものだと感心した。
雨乞山に近づくにつれて、徐々に車は少ななくなり、すれ違う車もなくなって来た。そうこうしているうちに、いよいよ山道になり、車がすれ違うことも難しい細く急な坂道になった。そんな道でもしっかりと舗装されているから大したものだ。先客のいない駐車場に車を停める。さすがにここは土と草のただの空き地だ。まだ涼しいとは言えないが、風はどこか柔らかい。夏の登山でご用達の父手製の杖を持ち、山頂に向けての一歩を踏み出した。
緩やかに続く山道には木々の緑が溢れ、蝉しぐれが鳴り響く。昨日は雨が降ったのだろう。道はところどころ湿っている。先頭はユイ、その後をリョウと父。僕は最後尾から追いかけた。軽い足取りでどんどんと先を行くユイとリョウ。若者にとって、この程度の山道は散歩に毛が生えた程度なのかもしれない。
しっかりとした足取りで歩く父の背中は相変わらずどっしりしている。療道と八木節の道を究め、尚且つ趣味の千代紙細工も徹底的に拘っている。追いつこうとしても追いつけないどっしりとした背中。そんな背中を僕はずっと見てきた。自分には自分の道があると、父の背中に追いつこうとすることはとっくに諦めはしたが、それでも自分らしく、それでいて父の存在を意識し、追いつくことのできない背中をせめて側道の斜め後ろからでも、見届けようと思っている。
登山とは不思議なものだ。自然を堪能し、人間の小ささを感じながら、父の後ろから、時に肩を並べて、ゆっくりと歩いていると、何故かお互いの人生に思いを馳せずにはいられなくなる。
「もう、少しだろ」
「まだ、半分だよ」
目印の案内板にはあと800mと記されていた。一昨年のイメージよりも父も僕も、ここを長い行程に感じている。2年の月日は距離感も少し変化させているようだ。すれ違う人は、まだ誰もいない。父と僕、長男と娘だけの贅沢な山道。静寂の中、リックの熊よけの鈴が、ちりんちりんと鳴った。
「そのキノコは食べられないぞ」
「その山イチゴはうまいぞ」
孫たちに説明しながら散策を楽しむ父。カエルが跳び跳ね、アブがまとわりつこうとする。山に住む生命の諸々がいつも何かを教えてくれる。思えば、僕も幼い頃から自然の溢れる場所へと父に誘われた。父ほどの自然愛好者に自分がなったとは思わないが、山や川のほとりに身を委ねることに僕も心地良さを感じている。
話しながら、汗をかきながら、3世代で歩き続けた山道もいよいよ頂上が見えた。ゆっくり一歩一歩、大きな達成感はないが、小さな山の頂にもそれなりの爽快感がある。4人で肩を並べて、眼下の沼田の街を見下ろし、少し近くなった空を仰ぐ。すっと風が吹き、さっと汗がひいた。
「じゃあ、昼にするか」
少し早い昼食、往路の途中、道の駅で買ったお握りとおはぎ。青空の下で食べるものは格別の味がする。父を中心に写真を撮り、人生の思い出のページがまた増えた。
雨乞山の頂上に改めて立つと、ここは自分らしい頂だなと頬が緩む。世界最高峰のエベレストや日本一の富士山と比較すると余りにも低すぎる雨乞山。ここまで52年、自分はごく平凡な普通人としての道を歩んできた。でも、両親がいたからこそ、人並みに学校を卒業し、好きなスポーツに打ち込み、結婚し、妻や子供たちに恵まれ、幸せな家庭を持つことができている。確かに有名人にもならなかったし、金持ちにもなっていない。無名の人として地位も名声もなく、父の後を継いだ仕事も二代目としては、まだまだ半人前である。
これから先も、きっと人生の山としてのエベレストや富士山に挑むことはないだろう。でも、何度も何度も雨乞山のような小さな山を登ることで、自分らしい人生の山を登ることができるはずだ。目立たなくいい。どこにもいない唯一の普通人として、人生のエベレストや富士山に登った人たちを見上げるでもなく、我ここにありと、静かに自分だけの頂に立っていられればと思うのだ。
1時間ぐらいいただろうか。父もリョウもユイも、下山を忘れたように家族での憩いの時間を過ごしていた。肩を組む父とユイ、3世代並んでの笑顔。ささやかな幸せの瞬間をこれからもずっと大切にしていこうと心から思う。
「さぁ、下るか!」
雨乞山に父の声が響いた。蝉しぐれに負けじと、父の声が太く響いた。
「今年は雨乞にしようよ」
提案したのは僕だった。昨年行けなかった御巣鷹への思いも父は強いようだったが、2年ぶりの登山を考慮して、雨乞山を提案した。
群馬県の沼田市にある雨乞山の標高は1000m程度。歩行距離も登山口から頂上まで1500mで、一昨年の登山ではハイキングのように山登りを楽しめた。父の膝のこともあったが、雨乞山は低い山ながら自然に満ち溢れた散策道が続き、視界の広がる頂上もある。それなりに達成感もあり、みんなで気軽に登れるだろうと思った。
メンバーは父と僕の他は、長男のリョウと娘のユイ。24歳と18歳、もう幼い頃の2人ではないが、父にとって孫はいつまで経っても孫のはずだ。土曜の仕事を終え、群馬に着いたのが午前0時。父はすでに寝ていて、「キュウリを肴に冷蔵庫のビール飲むように」との書置きがあった。渇いた喉をビールで潤し、登山に備えてすぐに床に就いた。
朝6時、すでに父は起き、朝食の支度をしていた。自宅の畑で作るキュウリとナスに焼き鮭が用意され、あとは食べるだけになっていた。再会の挨拶を済ませ、みんなで父が作った朝食を頬張った。
「ユイちゃん、髪の毛を染めたのか。さすがに今の若い娘だな」
さりげない言葉にも、歳を重ねた柔らかさがある。
「おじいちゃん、ナス美味しいよ」
ユイもそうだが、長男のリョウも普段、父親の僕には見せない顔を祖父には見せる。いくつになっても祖父母と触れ合うことは子供にとっても、大切なことなのだろう。
朝食を平らげ、身支度を整えると「そろそろ行くぞ」の声。天気は快晴、もちろん夏の群馬特有のむっとした暑さもある。それでも3世代での登山ができる喜びを感じて、目的地の雨乞山へと出発した。
夏の登山ではいつも父が目的地までの運転を買って出る。昔から運転が好きな父はこの歳になっても、長距離運転を苦にしない。助手席から景色を眺めると、道路は広く綺麗に整備され、良くも悪くも総理大臣を4人も出した土地柄だと改めて思う。
車も沼田市街に入ると、街は夏祭りの準備をしているようだった。日本の夏と言えば、やはり祭り。古くから伝わる風習は、どんなに時代が進んでもなくならないものだと感心した。
雨乞山に近づくにつれて、徐々に車は少ななくなり、すれ違う車もなくなって来た。そうこうしているうちに、いよいよ山道になり、車がすれ違うことも難しい細く急な坂道になった。そんな道でもしっかりと舗装されているから大したものだ。先客のいない駐車場に車を停める。さすがにここは土と草のただの空き地だ。まだ涼しいとは言えないが、風はどこか柔らかい。夏の登山でご用達の父手製の杖を持ち、山頂に向けての一歩を踏み出した。
緩やかに続く山道には木々の緑が溢れ、蝉しぐれが鳴り響く。昨日は雨が降ったのだろう。道はところどころ湿っている。先頭はユイ、その後をリョウと父。僕は最後尾から追いかけた。軽い足取りでどんどんと先を行くユイとリョウ。若者にとって、この程度の山道は散歩に毛が生えた程度なのかもしれない。
しっかりとした足取りで歩く父の背中は相変わらずどっしりしている。療道と八木節の道を究め、尚且つ趣味の千代紙細工も徹底的に拘っている。追いつこうとしても追いつけないどっしりとした背中。そんな背中を僕はずっと見てきた。自分には自分の道があると、父の背中に追いつこうとすることはとっくに諦めはしたが、それでも自分らしく、それでいて父の存在を意識し、追いつくことのできない背中をせめて側道の斜め後ろからでも、見届けようと思っている。
登山とは不思議なものだ。自然を堪能し、人間の小ささを感じながら、父の後ろから、時に肩を並べて、ゆっくりと歩いていると、何故かお互いの人生に思いを馳せずにはいられなくなる。
「もう、少しだろ」
「まだ、半分だよ」
目印の案内板にはあと800mと記されていた。一昨年のイメージよりも父も僕も、ここを長い行程に感じている。2年の月日は距離感も少し変化させているようだ。すれ違う人は、まだ誰もいない。父と僕、長男と娘だけの贅沢な山道。静寂の中、リックの熊よけの鈴が、ちりんちりんと鳴った。
「そのキノコは食べられないぞ」
「その山イチゴはうまいぞ」
孫たちに説明しながら散策を楽しむ父。カエルが跳び跳ね、アブがまとわりつこうとする。山に住む生命の諸々がいつも何かを教えてくれる。思えば、僕も幼い頃から自然の溢れる場所へと父に誘われた。父ほどの自然愛好者に自分がなったとは思わないが、山や川のほとりに身を委ねることに僕も心地良さを感じている。
話しながら、汗をかきながら、3世代で歩き続けた山道もいよいよ頂上が見えた。ゆっくり一歩一歩、大きな達成感はないが、小さな山の頂にもそれなりの爽快感がある。4人で肩を並べて、眼下の沼田の街を見下ろし、少し近くなった空を仰ぐ。すっと風が吹き、さっと汗がひいた。
「じゃあ、昼にするか」
少し早い昼食、往路の途中、道の駅で買ったお握りとおはぎ。青空の下で食べるものは格別の味がする。父を中心に写真を撮り、人生の思い出のページがまた増えた。
雨乞山の頂上に改めて立つと、ここは自分らしい頂だなと頬が緩む。世界最高峰のエベレストや日本一の富士山と比較すると余りにも低すぎる雨乞山。ここまで52年、自分はごく平凡な普通人としての道を歩んできた。でも、両親がいたからこそ、人並みに学校を卒業し、好きなスポーツに打ち込み、結婚し、妻や子供たちに恵まれ、幸せな家庭を持つことができている。確かに有名人にもならなかったし、金持ちにもなっていない。無名の人として地位も名声もなく、父の後を継いだ仕事も二代目としては、まだまだ半人前である。
これから先も、きっと人生の山としてのエベレストや富士山に挑むことはないだろう。でも、何度も何度も雨乞山のような小さな山を登ることで、自分らしい人生の山を登ることができるはずだ。目立たなくいい。どこにもいない唯一の普通人として、人生のエベレストや富士山に登った人たちを見上げるでもなく、我ここにありと、静かに自分だけの頂に立っていられればと思うのだ。
1時間ぐらいいただろうか。父もリョウもユイも、下山を忘れたように家族での憩いの時間を過ごしていた。肩を組む父とユイ、3世代並んでの笑顔。ささやかな幸せの瞬間をこれからもずっと大切にしていこうと心から思う。
「さぁ、下るか!」
雨乞山に父の声が響いた。蝉しぐれに負けじと、父の声が太く響いた。
「団地ともお」を見て
2015年8月14日 エッセイ家族みんなで楽しみに見ていたアニメの「団地ともお」
久しぶりにスペシャルの放送がありました。
今回は時節柄テーマは「戦争」
シビアなテーマに、直球で勝負し、視聴者を考えさせる作品でした。
もちろん、アニメなので楽しいシーン、面白いやりとりは満載で、
それでいて重いテーマを、じっくりと考えさせてくれました。
「団地ともお」を見た後は、
首相の言葉が空々しく、あまりにも軽く思えてしまいました。
久しぶりにスペシャルの放送がありました。
今回は時節柄テーマは「戦争」
シビアなテーマに、直球で勝負し、視聴者を考えさせる作品でした。
もちろん、アニメなので楽しいシーン、面白いやりとりは満載で、
それでいて重いテーマを、じっくりと考えさせてくれました。
「団地ともお」を見た後は、
首相の言葉が空々しく、あまりにも軽く思えてしまいました。
夏は時々、朝早く4時、5時に目が覚めることがあります。
窓を開けると、少し涼しい風。
蝉の声が心地良く耳に響きます。
喉が渇いて水で喉を潤し、もう一寝入りと布団に入ります。
夏を楽しむ、暑いからこその涼を満喫する。
それが、夏の醍醐味なのかもしれません。
窓を開けると、少し涼しい風。
蝉の声が心地良く耳に響きます。
喉が渇いて水で喉を潤し、もう一寝入りと布団に入ります。
夏を楽しむ、暑いからこその涼を満喫する。
それが、夏の醍醐味なのかもしれません。
貴方は命の重みを感じてますか?
2015年7月15日 エッセイ「貴方は戦場に行けますか?」
「貴方は子供たちを戦場に送り込めますか?」
「貴方は見知らぬ人達の命を奪うことができますか?」
この問いかけに、老若男女、主義主張は関係ないと思います。
何よりも、命の重さは勝るものはないと思うのです。
「貴方は子供たちを戦場に送り込めますか?」
「貴方は見知らぬ人達の命を奪うことができますか?」
この問いかけに、老若男女、主義主張は関係ないと思います。
何よりも、命の重さは勝るものはないと思うのです。
人の体の手入れをするのが、自分の仕事のわけですが、
最近、感じ、思うことがあります。
それは体から聞こえるその人の声。
手を澄まし、触れ合うことで聞こえる声。
もちろん、いつも聞こえるわけではありません。
きっとお互いに信じ合う気持ちが、
通じ合った時だと思います。
まだまだ、修行の日々は続くわけですが、
手を澄まし、たくさんの心の声を感じられればと思っています。
最近、感じ、思うことがあります。
それは体から聞こえるその人の声。
手を澄まし、触れ合うことで聞こえる声。
もちろん、いつも聞こえるわけではありません。
きっとお互いに信じ合う気持ちが、
通じ合った時だと思います。
まだまだ、修行の日々は続くわけですが、
手を澄まし、たくさんの心の声を感じられればと思っています。
人として、今の政治のあり方、やり方には、
さすがに呆れてしまいます。
戦争なんてなくて当たり前のはずなのに、
拳を上げたくて仕方ないリーダーたち。
どんな理由をつけても、戦争は人殺しです。
いつも犠牲になるのは罪のない人たちばかり。
本当の敵なんて、どこにもいないのに敵を作り、武器を作り……
問題を残したままの原発、放射能による無視できない影響、
それでも動かそうとする人たち。
何とかミクスの三本目の矢は、どこにも放たれず、
庶民の暮らしのことなんて、そっちのけになっています。
何とかミクスを語る人すら見当たらなくなってしまいました。
僕らはどうすればいいのでしょうか。
何とはなしに社会の流れに身を任せて、
臭いものに蓋をしてばかりでは何も変わらないでしょう。
でも、身近な人と話し、
ニュースで見る最近の人たちの行動に目を凝らしていると、
今の社会に疑問を持ち、どうやらおかしいぞと手を上げ始めている人が、
思ったよりも多いような気がします。
感じること、
考えること、
触れ合うこと、
答えはきっと自分の中にあるはずです。
さすがに呆れてしまいます。
戦争なんてなくて当たり前のはずなのに、
拳を上げたくて仕方ないリーダーたち。
どんな理由をつけても、戦争は人殺しです。
いつも犠牲になるのは罪のない人たちばかり。
本当の敵なんて、どこにもいないのに敵を作り、武器を作り……
問題を残したままの原発、放射能による無視できない影響、
それでも動かそうとする人たち。
何とかミクスの三本目の矢は、どこにも放たれず、
庶民の暮らしのことなんて、そっちのけになっています。
何とかミクスを語る人すら見当たらなくなってしまいました。
僕らはどうすればいいのでしょうか。
何とはなしに社会の流れに身を任せて、
臭いものに蓋をしてばかりでは何も変わらないでしょう。
でも、身近な人と話し、
ニュースで見る最近の人たちの行動に目を凝らしていると、
今の社会に疑問を持ち、どうやらおかしいぞと手を上げ始めている人が、
思ったよりも多いような気がします。
感じること、
考えること、
触れ合うこと、
答えはきっと自分の中にあるはずです。
理不尽さと向き合って
2015年6月3日 エッセイ コメント (2)「理不尽だなぁ」と思うことが世の中には多い。
理不尽さの尺度はそれぞれに違えども、
大人になるにつれて、その理不尽さに慣らされて、
「まぁ、いいか」と諦めてしまうことも多いと思う。
社会に揉まれるとはそう言うことなのかもしれないが、
間違っていることは、間違っているんだと、
やっぱり叫び続けていたいと僕は思う。
息子たちもそんな理不尽さに立ち向かい、もがいているようだ。
自分の足りないところを認め、
妥協しなければならないこともあるだろう。
それでも、心の奥底では自分をしっかり持ち、
社会の荒波の中、堂々と真っ直ぐに歩いて欲しいと思う。
果たして、自分はどうか――
立ち止まり自分に問いかけてみようと思う。
理不尽さの尺度はそれぞれに違えども、
大人になるにつれて、その理不尽さに慣らされて、
「まぁ、いいか」と諦めてしまうことも多いと思う。
社会に揉まれるとはそう言うことなのかもしれないが、
間違っていることは、間違っているんだと、
やっぱり叫び続けていたいと僕は思う。
息子たちもそんな理不尽さに立ち向かい、もがいているようだ。
自分の足りないところを認め、
妥協しなければならないこともあるだろう。
それでも、心の奥底では自分をしっかり持ち、
社会の荒波の中、堂々と真っ直ぐに歩いて欲しいと思う。
果たして、自分はどうか――
立ち止まり自分に問いかけてみようと思う。