3月23日、夜――
官邸前は「怒り」に満ち溢れた人たちの「叫び」が響いていました。
森友学園に関わる財務省の公文書改ざんの問題。
あまりにも無責任で、酷い政府の対応に僕も我慢ができませんでした。
その夜、抗議デモがあることを知り、仕事を終えて駆け付けました。
夥しい数の警察官に囲まれるながらも、歩道にぎっしりと集う一般の人たち。
ここに来て何ができるかではなく、
人として間違っているお偉いさんたちに、
「俺は見ているぞ」と示したかったのです。
声の限り叫び続ける人、キャンドルライトを掲げ抗議の意志を示す人。
僕はただ、ひたすら黙々と歩き続けました。
官邸前の歩道にも、桜の花が咲いてました。
官邸前は「怒り」に満ち溢れた人たちの「叫び」が響いていました。
森友学園に関わる財務省の公文書改ざんの問題。
あまりにも無責任で、酷い政府の対応に僕も我慢ができませんでした。
その夜、抗議デモがあることを知り、仕事を終えて駆け付けました。
夥しい数の警察官に囲まれるながらも、歩道にぎっしりと集う一般の人たち。
ここに来て何ができるかではなく、
人として間違っているお偉いさんたちに、
「俺は見ているぞ」と示したかったのです。
声の限り叫び続ける人、キャンドルライトを掲げ抗議の意志を示す人。
僕はただ、ひたすら黙々と歩き続けました。
官邸前の歩道にも、桜の花が咲いてました。
日曜、真昼の横浜――
大学時代からずっと付き合いが続いているスギとタケ。
すっかりオジサンになった3人で昼間からどっぷりと飲み、語り合いました。
何でも話せる友、格好悪い自分もさらけ出せる友。
ちっちゃなことで熱くなったり、恋愛に突っ走ったり、
思い、悩み、楽しんでいたあの頃……
ずっと時は流れ、それぞれに仕事を持ち、結婚し、子供を育て、
それでも全く変わらぬ笑顔の2人が目の前にいました。
大学に入って早々に、僕は大きな挫折に経験しました。
その時の2人も、先日の日曜のような笑顔でいてくれました。
こいつらがいたから、今の自分もいる――
そんな人たちが誰しも何人かはいると思います。
スギとタケは僕の中ではそんな存在です。
店を出で、タケがスマホを持った手を伸ばしました。
ディスプレイには青二才の頃の三人が、笑っていました。
大学時代からずっと付き合いが続いているスギとタケ。
すっかりオジサンになった3人で昼間からどっぷりと飲み、語り合いました。
何でも話せる友、格好悪い自分もさらけ出せる友。
ちっちゃなことで熱くなったり、恋愛に突っ走ったり、
思い、悩み、楽しんでいたあの頃……
ずっと時は流れ、それぞれに仕事を持ち、結婚し、子供を育て、
それでも全く変わらぬ笑顔の2人が目の前にいました。
大学に入って早々に、僕は大きな挫折に経験しました。
その時の2人も、先日の日曜のような笑顔でいてくれました。
こいつらがいたから、今の自分もいる――
そんな人たちが誰しも何人かはいると思います。
スギとタケは僕の中ではそんな存在です。
店を出で、タケがスマホを持った手を伸ばしました。
ディスプレイには青二才の頃の三人が、笑っていました。
真のリーダーとは――
過ちは潔く認め、謝罪し、自らを律することができる人だと思います。
責任を誰かに押し付けず、自分のこととして部下を庇い、
すべての非は己にあると言える人こそ、真のリーダーだと思うのです。
残念ながら、今、この国の政府のリーダーたちにはそんな人はいません。
保身に走ろうとし、責任を部下に押し付けようとしている人ばかりです。
少し固い話になってしまいましたが、
真っすぐに歩きたい、次世代の人たちが誇れる世の中にしたいと思うなら、
現状を心に焼き付けて、明日から生きていくことだと思います。
今日は嘆きのブログになってしまいましたが、
これは自分の紛れもない本心です。
過ちは潔く認め、謝罪し、自らを律することができる人だと思います。
責任を誰かに押し付けず、自分のこととして部下を庇い、
すべての非は己にあると言える人こそ、真のリーダーだと思うのです。
残念ながら、今、この国の政府のリーダーたちにはそんな人はいません。
保身に走ろうとし、責任を部下に押し付けようとしている人ばかりです。
少し固い話になってしまいましたが、
真っすぐに歩きたい、次世代の人たちが誇れる世の中にしたいと思うなら、
現状を心に焼き付けて、明日から生きていくことだと思います。
今日は嘆きのブログになってしまいましたが、
これは自分の紛れもない本心です。
「お寿司はこんな風にゆっくり食べたいよね」
「そうですよね。やっぱりゆっくり味わって欲しいですね」
「本当に美味しい……」
「ありがとうございます」
日曜、東京の青物横丁、カミサンの誕生祝を兼ねて、
3年前に開店したばかりの寿司屋に行きました。
京急青物横丁駅から歩いて30秒。
雑居ビルの4階にある「しながわ葵」は、地元の人気店になっていました。
ランチタイムには1500円の握り、ちらしもある敷居の低さながら、
もちろん、本格的な職人の技の逸品も取り揃えています。
時はずっと過去に遡って僕が大学生の頃――
恩師に依頼されて、ある高校のバドミントン指導に関わっていました。
その高校で1年生のH君は粗削りながら抜群のスマッシュを持つエースでした。
ただ、開校したばかりの新設校では、その才能は蕾のままでした。
まだ若く指導力に乏しい僕は、ただただ情熱でぶつかるばかりでした。
あれから30年以上の時が流れました。
実家が寿司屋だったH君は子供の頃から目指していた寿司職人となり、
都会の中、下町の香りがする青物横丁で大将になりました。
日曜日のランチタイム——
人が溢れる店内で、バドミントン部のエースは50歳となり、
生粋の寿司職人のエースに見事に成長していました。
※「しながわ葵」
https://tabelog.com/tokyo/A1315/A131501/13179434/
「そうですよね。やっぱりゆっくり味わって欲しいですね」
「本当に美味しい……」
「ありがとうございます」
日曜、東京の青物横丁、カミサンの誕生祝を兼ねて、
3年前に開店したばかりの寿司屋に行きました。
京急青物横丁駅から歩いて30秒。
雑居ビルの4階にある「しながわ葵」は、地元の人気店になっていました。
ランチタイムには1500円の握り、ちらしもある敷居の低さながら、
もちろん、本格的な職人の技の逸品も取り揃えています。
時はずっと過去に遡って僕が大学生の頃――
恩師に依頼されて、ある高校のバドミントン指導に関わっていました。
その高校で1年生のH君は粗削りながら抜群のスマッシュを持つエースでした。
ただ、開校したばかりの新設校では、その才能は蕾のままでした。
まだ若く指導力に乏しい僕は、ただただ情熱でぶつかるばかりでした。
あれから30年以上の時が流れました。
実家が寿司屋だったH君は子供の頃から目指していた寿司職人となり、
都会の中、下町の香りがする青物横丁で大将になりました。
日曜日のランチタイム——
人が溢れる店内で、バドミントン部のエースは50歳となり、
生粋の寿司職人のエースに見事に成長していました。
※「しながわ葵」
https://tabelog.com/tokyo/A1315/A131501/13179434/
日曜日、昨年亡くなった叔父の四十九日の法要がありました。
記憶はセピア色になっていますが、
若い頃、東京にいた叔父には、随分と僕も可愛がって貰ったようです。
その日、群馬、渋川での法事は懐かしい顔がたくさん集まりました。
「たっちゃん、もうおじいちゃんなんだ」
「たっちゃんと会えて、良かったよ」
叔母や叔父、従妹たちとも、祖母の葬式以来、20数年ぶりの再会です。
自分の名前からの愛称で呼ばれるのも、
55歳の完璧なオジサンには何となく、気恥ずかしいものです。
それでも、縁は時を越えるものです。
みんな同じだけ、年月を過ごしているというのに、
昔のままの感覚で、和気あいあいと法要の後の宴が進みました。
お酒が大好きだった叔父も、そんな親戚たちの宴を、
天国から喜んでいたと思います。
記憶はセピア色になっていますが、
若い頃、東京にいた叔父には、随分と僕も可愛がって貰ったようです。
その日、群馬、渋川での法事は懐かしい顔がたくさん集まりました。
「たっちゃん、もうおじいちゃんなんだ」
「たっちゃんと会えて、良かったよ」
叔母や叔父、従妹たちとも、祖母の葬式以来、20数年ぶりの再会です。
自分の名前からの愛称で呼ばれるのも、
55歳の完璧なオジサンには何となく、気恥ずかしいものです。
それでも、縁は時を越えるものです。
みんな同じだけ、年月を過ごしているというのに、
昔のままの感覚で、和気あいあいと法要の後の宴が進みました。
お酒が大好きだった叔父も、そんな親戚たちの宴を、
天国から喜んでいたと思います。
仕事納めの昨夜は家族で忘年会でした。
日々、成長する孫を抱き、嫁さんにくだらないジョークを語り、
息子たちといつもより、少したくさんお酒を飲みました。
大晦日の今日、洗濯を済ませ、カミサンと買い物に行き、
カミサンはおせちの準備、僕は手抜き掃除に精を出しました。
皆さんはどんな年越しを迎えられるのでしょう。
皆さんにとって、今年はどんな年だったのでしょう。
僕たちはまたそれぞれの幸せを求めて、
それぞれの人生を、来年も歩き続けるわけですね。
本年は大変お世話になりました。
ありがとうございました。
日々、成長する孫を抱き、嫁さんにくだらないジョークを語り、
息子たちといつもより、少したくさんお酒を飲みました。
大晦日の今日、洗濯を済ませ、カミサンと買い物に行き、
カミサンはおせちの準備、僕は手抜き掃除に精を出しました。
皆さんはどんな年越しを迎えられるのでしょう。
皆さんにとって、今年はどんな年だったのでしょう。
僕たちはまたそれぞれの幸せを求めて、
それぞれの人生を、来年も歩き続けるわけですね。
本年は大変お世話になりました。
ありがとうございました。
毎年、年末は土日を利用して群馬に住む父に会いに行きます。
子供が一緒の時もありましたが、
皆、成人した最近は僕がひとりのことが多いです。
「彼氏がいれば仕方ないな……」
来る予定だった娘が来られなくなり、父はちょっと寂しそうでしたが、
大人になった孫娘のことを思う気持ちは、何も変わりありません。
どこに行くわけでも、何をする訳でもなく、
ただ炬燵に足を入れ、ご飯を食べ、あれこれと語り合う。
師走の慌ただしさから、ちょっと離れて、
束の間のゆるい時を過ごしてきました。
子供が一緒の時もありましたが、
皆、成人した最近は僕がひとりのことが多いです。
「彼氏がいれば仕方ないな……」
来る予定だった娘が来られなくなり、父はちょっと寂しそうでしたが、
大人になった孫娘のことを思う気持ちは、何も変わりありません。
どこに行くわけでも、何をする訳でもなく、
ただ炬燵に足を入れ、ご飯を食べ、あれこれと語り合う。
師走の慌ただしさから、ちょっと離れて、
束の間のゆるい時を過ごしてきました。
数年前、ラジオからこんな言葉が聞こえてきました。
「これからはマインドリッチの時代になりますね」
マインドリッチ――
マインドリッチの時代になったかどうかは甚だ疑問ですが、
要は格差が進んだ社会では、物質的な豊かさではなくて、
心の豊かさが大事になるんだと言うこと。
自分は子供の頃からマインドリッチを目指していたなと、
ラジオを聞きながら思わず苦笑いが出てしまいました。
豪邸に住み、外車を何台も持ち、週末は旅行三昧。
庶民代表の反骨精神かもしれませんが、
そんなことには全く関心がなく、
手作りのごはん、身近な緑、ささやかなありがとうに、
心を満たされる日々を送っているように思います。
そんな自分と暮らすことになってしまった家族の面々には、
申し訳なく思うこともなくはありません。
でも――
心の豊かさは、物質的な豊かさに比例するとは、
どうしても思えないのです。
昔、こんなことを言って周りに笑われたことがあります。
「俺はイチローになれないけど、イチローも俺にはなれないからな」
僕は大まじめに語ったつもりがだったんですが……
「これからはマインドリッチの時代になりますね」
マインドリッチ――
マインドリッチの時代になったかどうかは甚だ疑問ですが、
要は格差が進んだ社会では、物質的な豊かさではなくて、
心の豊かさが大事になるんだと言うこと。
自分は子供の頃からマインドリッチを目指していたなと、
ラジオを聞きながら思わず苦笑いが出てしまいました。
豪邸に住み、外車を何台も持ち、週末は旅行三昧。
庶民代表の反骨精神かもしれませんが、
そんなことには全く関心がなく、
手作りのごはん、身近な緑、ささやかなありがとうに、
心を満たされる日々を送っているように思います。
そんな自分と暮らすことになってしまった家族の面々には、
申し訳なく思うこともなくはありません。
でも――
心の豊かさは、物質的な豊かさに比例するとは、
どうしても思えないのです。
昔、こんなことを言って周りに笑われたことがあります。
「俺はイチローになれないけど、イチローも俺にはなれないからな」
僕は大まじめに語ったつもりがだったんですが……
休日、御殿場線の上大井駅で降りました。
無人の駅舎からは長閑な風情が漂い、
なんとなく穏やかな気持ちになりました。
山があり、川があり、人気もなく、
無駄な色彩はほとんどありません。
でも、今回の目的はそんな自然に浸ることでなく、
久しぶりに次男がフィールドを走る姿を見ることでした。
幼い頃から続けていたずっとサッカーは、
いつの間にか社会人になり、フットサルになりました。
年上の大人たちの囲まれてのフットサル。
趣味とは言え、ずっとボールを蹴り続けられることの素晴らしさは、
僕も少しはわかるつもりでいます。
試合が終わり、チームの面々が、
僕ら夫婦の前にわざわざ挨拶をしに来てくれました。
勝ち負けだけじゃないスポーツの本当の大切さを、
改めて教えられたような思いでした。
夕暮れの帰り道、ここからも富士山が顔を出してくれました。
無人の駅舎からは長閑な風情が漂い、
なんとなく穏やかな気持ちになりました。
山があり、川があり、人気もなく、
無駄な色彩はほとんどありません。
でも、今回の目的はそんな自然に浸ることでなく、
久しぶりに次男がフィールドを走る姿を見ることでした。
幼い頃から続けていたずっとサッカーは、
いつの間にか社会人になり、フットサルになりました。
年上の大人たちの囲まれてのフットサル。
趣味とは言え、ずっとボールを蹴り続けられることの素晴らしさは、
僕も少しはわかるつもりでいます。
試合が終わり、チームの面々が、
僕ら夫婦の前にわざわざ挨拶をしに来てくれました。
勝ち負けだけじゃないスポーツの本当の大切さを、
改めて教えられたような思いでした。
夕暮れの帰り道、ここからも富士山が顔を出してくれました。
あまりにも酷い理由で始まる選挙が間近にあります。
それでも、僕たちにとって大切な分かれ目になる選挙です。
その選挙――
地元の選挙区で、応援していたある候補者の方がいました。
今回もその方に一票を投じるつもりでいました。
その方のメルマガをずっと読み、何度かメールのやり取りもし、
選挙活動の一環で、うちに寄って頂き、お話したこともありました。
その方が選挙の前に所属の政党を変えました。
もちろん、辛酸を舐め続けた大人の理由もあろうかと思いますが、
考え方や政治の進め方に違いの多いその選択は僕は疑問でした。
新たに所属する政党のリーダーの姿勢に僕は全く賛同できません。
僕はその候補者に一票を投じることを断念しました。
たかだか一票、されど一票です。
そんな自分の思いを、僕はその方にメールで伝えました。
所詮、小さな庶民の力です。
考えを翻意しようとか、この件での返信が欲しいとかではありません。
たったひとりの選挙民として、
伝えるべきことは伝えたかった、ただそれだけでした。
大切な選挙権、自分なりに大切にしたいと思っています。
それでも、僕たちにとって大切な分かれ目になる選挙です。
その選挙――
地元の選挙区で、応援していたある候補者の方がいました。
今回もその方に一票を投じるつもりでいました。
その方のメルマガをずっと読み、何度かメールのやり取りもし、
選挙活動の一環で、うちに寄って頂き、お話したこともありました。
その方が選挙の前に所属の政党を変えました。
もちろん、辛酸を舐め続けた大人の理由もあろうかと思いますが、
考え方や政治の進め方に違いの多いその選択は僕は疑問でした。
新たに所属する政党のリーダーの姿勢に僕は全く賛同できません。
僕はその候補者に一票を投じることを断念しました。
たかだか一票、されど一票です。
そんな自分の思いを、僕はその方にメールで伝えました。
所詮、小さな庶民の力です。
考えを翻意しようとか、この件での返信が欲しいとかではありません。
たったひとりの選挙民として、
伝えるべきことは伝えたかった、ただそれだけでした。
大切な選挙権、自分なりに大切にしたいと思っています。
サイクリング……もどき
2017年9月23日 エッセイ コメント (5)訳あって、往復約10㎞のママチャリサイクリングをすることになりました。
程良い陽気、休日ゆえの交通量の少ない道。
なまっていた筋肉に適度な刺激が入って、
気持ちの良いひと時になりました。
いつも車で通っている道は自転車で走ると景色が違って、
小さな驚きや心地良い風に癒されるささやかな旅でした。
予定外の行動は、時として思わぬ楽しみを与えてくれくれるものです。
程良い陽気、休日ゆえの交通量の少ない道。
なまっていた筋肉に適度な刺激が入って、
気持ちの良いひと時になりました。
いつも車で通っている道は自転車で走ると景色が違って、
小さな驚きや心地良い風に癒されるささやかな旅でした。
予定外の行動は、時として思わぬ楽しみを与えてくれくれるものです。
この時期、テレビや新聞などで原爆投下の特集が組まれています。
先日も家族で広島の原爆投下の特集を見ました。
あまりにも悲惨な真実、あまりにも理不尽な行為。
昨晩は「黒い雨」を妻と見ました。
何の罪もない人たちが抱えてしまった重い十字架。
原爆と限らず、戦争に何ひとつ良いことはありません。
善悪の境目がなくなり、人が人ではなくなってしまう戦争。
正義の国も悪の国もない、ひとりの命の重みに差はないはずです。
理想は遥か遠くにあるのかもしれません。
それでも、僕たちは――
たくさんの人たちの犠牲の上に獲得した平和の遺伝子を、
次世代へと伝える義務を負っていると思うのです。
先日も家族で広島の原爆投下の特集を見ました。
あまりにも悲惨な真実、あまりにも理不尽な行為。
昨晩は「黒い雨」を妻と見ました。
何の罪もない人たちが抱えてしまった重い十字架。
原爆と限らず、戦争に何ひとつ良いことはありません。
善悪の境目がなくなり、人が人ではなくなってしまう戦争。
正義の国も悪の国もない、ひとりの命の重みに差はないはずです。
理想は遥か遠くにあるのかもしれません。
それでも、僕たちは――
たくさんの人たちの犠牲の上に獲得した平和の遺伝子を、
次世代へと伝える義務を負っていると思うのです。
真っ青な空、真夏のような陽射し、海からの風。
ここに来たのは何年振りだろうか。
久しぶりの横浜スタジアム。
チケットは社会人になった次男からの、
嬉しいプレゼントだった。
グラウンドで走る選手たちは日常。
僕らは非日常のひと時。
たまには日々の重荷を下ろして、
こんな時間を楽しんでも良いのかもしれない。
まだ、子供が幼い頃に時々来ていた頃の、
古いレプリカユニフォームを引っ張り出して、
妻と二人、一喜一憂の一日を満喫した。
「タオルマフラーとジェット風船は必需品」
そんなミーハーな妻の意見を尊重して、
一緒になって大いに応援に盛り上がった。
試合は贔屓のベイスターズが連敗脱出。
「必死でした」と言うヒーローの言葉に、
自分自身にも喝が入った。
ここに来たのは何年振りだろうか。
久しぶりの横浜スタジアム。
チケットは社会人になった次男からの、
嬉しいプレゼントだった。
グラウンドで走る選手たちは日常。
僕らは非日常のひと時。
たまには日々の重荷を下ろして、
こんな時間を楽しんでも良いのかもしれない。
まだ、子供が幼い頃に時々来ていた頃の、
古いレプリカユニフォームを引っ張り出して、
妻と二人、一喜一憂の一日を満喫した。
「タオルマフラーとジェット風船は必需品」
そんなミーハーな妻の意見を尊重して、
一緒になって大いに応援に盛り上がった。
試合は贔屓のベイスターズが連敗脱出。
「必死でした」と言うヒーローの言葉に、
自分自身にも喝が入った。
世の中がどうもおかしい、だからこそ
2017年5月26日 エッセイ コメント (2)このところずっと感じている違和感。
世の中がどうもおかしい。
当たり前のことを真っ直ぐににいう人が、とがめられて、
言い訳をしたり、他人に責任をなすり付けたり、
論理をすり替えてしまう人が、見過ごされている。
おかしいことは、おかしいと堂々と言える世の中であって欲しい。
たったひとりは無力かもしれない。
でも、たったひとりでも、
おかしいことは、おかしいと言いたい。
それは、たったひとりの力を信じているから。
世の中がどうもおかしい、
だからこそ。
世の中がどうもおかしい。
当たり前のことを真っ直ぐににいう人が、とがめられて、
言い訳をしたり、他人に責任をなすり付けたり、
論理をすり替えてしまう人が、見過ごされている。
おかしいことは、おかしいと堂々と言える世の中であって欲しい。
たったひとりは無力かもしれない。
でも、たったひとりでも、
おかしいことは、おかしいと言いたい。
それは、たったひとりの力を信じているから。
世の中がどうもおかしい、
だからこそ。
再びの岩櫃山・小さな頂へ
2017年5月1日 エッセイ コメント (4)
「今年はどこに行く」
「去年断念したから、岩櫃に登ろうか」
真田氏ゆかりの群馬県東吾妻町の岩櫃山ですが、
昨年の連休は城址までで断念しました。
僕も父も、昨年はあまりにも登る準備をしていませんでした。
85歳になる父には、山頂に向かう最後の鎖場は無理でも、
その付近までは登れるのではと、今年はチャレンジすることにしました。
それに父にとっては強力な助っ人、孫のユイも今回は同行することに。
クライミングを続けているユイがいることは僕も心強いものでした。
コースは父と僕にとっては思っていた以上にきついものでした。
滑りやすい落ち葉の敷き詰められた細い山道。
梯子や鎖がかけられた岩場。
軽々と登る20歳の娘は85歳の祖父を気遣いながらの登山でした。
それにしても自分の父親ながら、その健脚ぶりには改めて感心します。
若い頃から鍛え抜かれた足腰はその衰えを知らないようです。
何とか9合目に辿り着くと802mの小さな頂が前方に見えました。
「下りの体力を残しておくから、僕はここまでだな」という父親を残し、
娘と僕で山頂を目指しました。
8m程度の鎖場。
娘にとっては何のことはない岩場も、僕にとっては最後の難所。
鎖を持ち、時に安全な岩を掴み、一歩一歩、一手一手。
その小さな頂からは、眼下に見渡す町と頬を撫でる風。
心地良い気分に浸りながら、9合目の祖父にユイが手を振っていました。
登山口から往復3時間の登山。
標準的なコースタイムよりはずっと遅い時間でしたが、
忘れられない岩櫃山の1日となりました。
「去年断念したから、岩櫃に登ろうか」
真田氏ゆかりの群馬県東吾妻町の岩櫃山ですが、
昨年の連休は城址までで断念しました。
僕も父も、昨年はあまりにも登る準備をしていませんでした。
85歳になる父には、山頂に向かう最後の鎖場は無理でも、
その付近までは登れるのではと、今年はチャレンジすることにしました。
それに父にとっては強力な助っ人、孫のユイも今回は同行することに。
クライミングを続けているユイがいることは僕も心強いものでした。
コースは父と僕にとっては思っていた以上にきついものでした。
滑りやすい落ち葉の敷き詰められた細い山道。
梯子や鎖がかけられた岩場。
軽々と登る20歳の娘は85歳の祖父を気遣いながらの登山でした。
それにしても自分の父親ながら、その健脚ぶりには改めて感心します。
若い頃から鍛え抜かれた足腰はその衰えを知らないようです。
何とか9合目に辿り着くと802mの小さな頂が前方に見えました。
「下りの体力を残しておくから、僕はここまでだな」という父親を残し、
娘と僕で山頂を目指しました。
8m程度の鎖場。
娘にとっては何のことはない岩場も、僕にとっては最後の難所。
鎖を持ち、時に安全な岩を掴み、一歩一歩、一手一手。
その小さな頂からは、眼下に見渡す町と頬を撫でる風。
心地良い気分に浸りながら、9合目の祖父にユイが手を振っていました。
登山口から往復3時間の登山。
標準的なコースタイムよりはずっと遅い時間でしたが、
忘れられない岩櫃山の1日となりました。
4月1日と言えば必ず思い出すことがあります。
それは新入社員として初めて働き始めた日のことです。
今までで一番疲れた日――
テニス、バドミントン用品の専門店に就職した当時の僕は、
ほとんど何もわからないままに、店頭に立ちました。
名札には研修中の文字。
それでも構わずにお客様は色々と尋ねてきます。
何も答えられないままに、先輩社員に委ねたり、
わかる範囲で恐る恐る対応したり。
心の中で「こっちに来るな」と思いながら店頭に立ち続けました。
店が終わった瞬間――
虚脱感と疲労感の混ざった体験したことのないことのない感覚。
やっとの思いで家に辿り着き、食事もろくに喉を通りませんでした。
あれから32年。
僕にとって4月1日は日常の中の変わらぬ1日になっています。
そして、明後日。
次男が社会人デビューを果たします。
どんな顔をして帰ってくるのか、楽しみでもあります。
それは新入社員として初めて働き始めた日のことです。
今までで一番疲れた日――
テニス、バドミントン用品の専門店に就職した当時の僕は、
ほとんど何もわからないままに、店頭に立ちました。
名札には研修中の文字。
それでも構わずにお客様は色々と尋ねてきます。
何も答えられないままに、先輩社員に委ねたり、
わかる範囲で恐る恐る対応したり。
心の中で「こっちに来るな」と思いながら店頭に立ち続けました。
店が終わった瞬間――
虚脱感と疲労感の混ざった体験したことのないことのない感覚。
やっとの思いで家に辿り着き、食事もろくに喉を通りませんでした。
あれから32年。
僕にとって4月1日は日常の中の変わらぬ1日になっています。
そして、明後日。
次男が社会人デビューを果たします。
どんな顔をして帰ってくるのか、楽しみでもあります。
Report/FUKUSHIMA 001より
2017年3月12日 エッセイ コメント (4)以下は友人の写真家、ノジョー君こと高木俊幸氏が、
2013年に何度も福島に足を運び、取材したレポートのほんの一部です。
取材を受けている方は、浪江町の下津島に住まれていた被災者の方で、
現在は別の場所に生活の拠点を移されています。
6年後の今、改めて写真を見ながら読み返し、その重みを噛みしめています。
『単に経済の問題じゃなってことをわかってほしい。みなさん、原発を動かさなくてはいけないっていうのは、生活を維持するために、経済的な生活を維持するために、雇用の場を確保するために、家庭の収入なり生活の安定の基盤を築くために、原発は必要だって。だけど、いったん事故が起これば、経済なんて、そんなもんじゃないんだってことをわかってほしい。地域の歴史にしろ文化にしろ、細かい年中行事にしろね、すべて、一切合切含めて何もかもが吹き飛ぶんだってことなんです。
そういう事態を伝えるしかないんだけれど、そこがなかなか伝わらないっていうもどかしさがありますよね。
ようするに地域を失った、生活基盤を失ったということは、そこに生活してきた住民がね、長いこと紡いできた歴史なり、民族なり、慣習なり、年中行事なり、その地域の親和性のある雰囲気だとか、その一切が消されてしまう、そのことに対する哀惜っていうのかな、その残念さっていうのかな。
――下津島は本当に片田舎で、山間の一集落にしか過ぎないでしょ。でも、地域の人たちは一生懸命がんばって、私なんかもそうしたけれど、どうしたら活性化して幸せな地域になれるかっていうことを一生懸命考えていた。
そういう努力さえも、まぁようするに帳消しにされてしまった。で、そのことに対する、なんといえばいいのか、ほんと、残念さというか、うん。
それをね、是非分かってほしいんですよ。再びこんな思いはね、味わってほしくない、日本全国どこの人にもね。』
※Report/FUKUSHIMA001 (2013年8月発行)より引用
2013年に何度も福島に足を運び、取材したレポートのほんの一部です。
取材を受けている方は、浪江町の下津島に住まれていた被災者の方で、
現在は別の場所に生活の拠点を移されています。
6年後の今、改めて写真を見ながら読み返し、その重みを噛みしめています。
『単に経済の問題じゃなってことをわかってほしい。みなさん、原発を動かさなくてはいけないっていうのは、生活を維持するために、経済的な生活を維持するために、雇用の場を確保するために、家庭の収入なり生活の安定の基盤を築くために、原発は必要だって。だけど、いったん事故が起これば、経済なんて、そんなもんじゃないんだってことをわかってほしい。地域の歴史にしろ文化にしろ、細かい年中行事にしろね、すべて、一切合切含めて何もかもが吹き飛ぶんだってことなんです。
そういう事態を伝えるしかないんだけれど、そこがなかなか伝わらないっていうもどかしさがありますよね。
ようするに地域を失った、生活基盤を失ったということは、そこに生活してきた住民がね、長いこと紡いできた歴史なり、民族なり、慣習なり、年中行事なり、その地域の親和性のある雰囲気だとか、その一切が消されてしまう、そのことに対する哀惜っていうのかな、その残念さっていうのかな。
――下津島は本当に片田舎で、山間の一集落にしか過ぎないでしょ。でも、地域の人たちは一生懸命がんばって、私なんかもそうしたけれど、どうしたら活性化して幸せな地域になれるかっていうことを一生懸命考えていた。
そういう努力さえも、まぁようするに帳消しにされてしまった。で、そのことに対する、なんといえばいいのか、ほんと、残念さというか、うん。
それをね、是非分かってほしいんですよ。再びこんな思いはね、味わってほしくない、日本全国どこの人にもね。』
※Report/FUKUSHIMA001 (2013年8月発行)より引用
本当の復興って何だろう
2017年3月11日 エッセイ コメント (2)3.11から6年が経過しました。
当事者ではない僕がこのことを書く権利はないのかもしれません。
ただ、テレビで報道される被災地の今を見ていて、
なんとも言えない違和感が出てくる時があります。
本当の復興って――
原発事故も津波も、何もかもなかったことにして、
事を運ぼうとしている人たちがいるような気がします。
被災地には確実に僕らの住む街と同じく、
家族がいて、コミュニティーがあって、生活があったはずです。
それを全て0にして前を向こうとすることは、
どんなに時間があっても、とても難しいことのように思います。
本当の復興って何だろう――
当事者ではない僕がこのことを書く権利はないのかもしれません。
ただ、テレビで報道される被災地の今を見ていて、
なんとも言えない違和感が出てくる時があります。
本当の復興って――
原発事故も津波も、何もかもなかったことにして、
事を運ぼうとしている人たちがいるような気がします。
被災地には確実に僕らの住む街と同じく、
家族がいて、コミュニティーがあって、生活があったはずです。
それを全て0にして前を向こうとすることは、
どんなに時間があっても、とても難しいことのように思います。
本当の復興って何だろう――
成長しろ、成果を上げろ、能力主義、勝利至上主義……
世の中に溢れる、押し付けられたような強引な言葉の数々。
一見、前向きでプラス思考な言葉は、
常に上を見ている人にとっては、都合が良いのかもしれませんが、
それとは違う、自分なりの生きていく証を求めている人にとっては、
耳障りで、窮屈な言葉と感じている人もいると思います。
顧みて、国のリーダーたちはどうでしょうか。
先頭を突っ走ろうとするような人たちばかりで、
一般市民の後方から、ゆっくりとしっかりと、
世の中の景色を見ながら、歩いて行こうという人は、
少ない様な気がしています。
自分はどうか、その流れに嵌ってはいないか。
振り返れば、そんなことをいつも自分に問いかけていたように思います。
今、自分自身に言えることはひとつ。
垂れ流される情報を見極め、鵜吞みにせず、
自分で感じ、自分で考え、背中で示し、
たった一人の平凡なる者として、
ゆっくりと歩いて行きたいと思っています。
世の中に溢れる、押し付けられたような強引な言葉の数々。
一見、前向きでプラス思考な言葉は、
常に上を見ている人にとっては、都合が良いのかもしれませんが、
それとは違う、自分なりの生きていく証を求めている人にとっては、
耳障りで、窮屈な言葉と感じている人もいると思います。
顧みて、国のリーダーたちはどうでしょうか。
先頭を突っ走ろうとするような人たちばかりで、
一般市民の後方から、ゆっくりとしっかりと、
世の中の景色を見ながら、歩いて行こうという人は、
少ない様な気がしています。
自分はどうか、その流れに嵌ってはいないか。
振り返れば、そんなことをいつも自分に問いかけていたように思います。
今、自分自身に言えることはひとつ。
垂れ流される情報を見極め、鵜吞みにせず、
自分で感じ、自分で考え、背中で示し、
たった一人の平凡なる者として、
ゆっくりと歩いて行きたいと思っています。
大晦日――
娘と10㎞をウォーキング&ランニングで勝負。
娘が1時間21分、僕が1時間57分で完敗。
それでも穏やかな日差しの中、程よく汗をかき、心地良い大晦日になる。
ただし、足はパンパン。
その後、元気な手で年末ぎりぎりの年賀状を書く。
元旦――
おせちに雑煮のいつもの元旦。
いつもと違うのは長男がいないことと、何故か娘がいないこと(笑)
そのあと、運動不足だから歩いて川崎に行こうと言うカミサンと外出。
静かな住宅街と地元の商店街、逆に賑やかな川崎の駅周辺。
そのギャップに新年を噛み締める。
2日――
2年続けての町田天満宮への初詣。
メンバーは僕たち夫婦と長男夫婦。これまた何故か、娘とその彼氏(笑)
正月からバイト中の次男からは、
天満宮に就職のお礼をしておいてと100円玉を預かる。
その後は地元に帰ってメンバー6人で新年会。
飲んで笑って、ちょっと偉そうに語ってしまう(笑)
3日――
のんびりと体を休め、のんびりと夫婦で過ごす。
そんなわけで遅ればせながら、今年も宜しくお願いします。
娘と10㎞をウォーキング&ランニングで勝負。
娘が1時間21分、僕が1時間57分で完敗。
それでも穏やかな日差しの中、程よく汗をかき、心地良い大晦日になる。
ただし、足はパンパン。
その後、元気な手で年末ぎりぎりの年賀状を書く。
元旦――
おせちに雑煮のいつもの元旦。
いつもと違うのは長男がいないことと、何故か娘がいないこと(笑)
そのあと、運動不足だから歩いて川崎に行こうと言うカミサンと外出。
静かな住宅街と地元の商店街、逆に賑やかな川崎の駅周辺。
そのギャップに新年を噛み締める。
2日――
2年続けての町田天満宮への初詣。
メンバーは僕たち夫婦と長男夫婦。これまた何故か、娘とその彼氏(笑)
正月からバイト中の次男からは、
天満宮に就職のお礼をしておいてと100円玉を預かる。
その後は地元に帰ってメンバー6人で新年会。
飲んで笑って、ちょっと偉そうに語ってしまう(笑)
3日――
のんびりと体を休め、のんびりと夫婦で過ごす。
そんなわけで遅ればせながら、今年も宜しくお願いします。